先日、銀杏BOYZとYUKIのライブが行われました。

そこでの銀杏・峯田は、名曲「人間」を演奏する前にこう言ったそうです。


「この曲を、秋葉原で人を殺した加藤君と、その被害者に贈ります」



これは、とある音楽サイトの情報。

峯田らしいな、と感動したのもつかの間。

今度は別の巨大ニュースサイトで見てみると、こうなっていました。


「この曲を、秋葉原で被害に遭った人に贈ります」



情報操作しなきゃいけないんなら記事にするなよ。


知っている人はすぐに見抜けるようなウソを、薄っぺらな正義感で正当化する。

こういう不信を呼び起こす行為が、さらに犯罪を増長させると自覚して欲しい。

今年もやって来ましたね!夏フェスの季節!!


私は、5年連続でフジロックに参加しています。

今年も行く予定です。


夏フェスでの楽しみといったら、まずはアーティスト、そして野外の開放感ですね。

今年のアーティストは・・・・というかここ数年は、どのフェスもマンネリ化が避けられないのかなぁと思ってしまうくらい、パンチがないメンツです。


そんな中、とあるニュースが飛び込んで来ました。


ジャパニーズロックのフェスとしては古株である、ロックインジャパンフェス主催者に対して、北海道で行われるライジングサンロックフェスの主催者側が、出演アーティストを被らせないように、という要請をしたんだそうです

その結果、両フェスの出演者は殆ど被っていないという状態になりました。


これは、今でもロックインジャパンフェスのHPで見ることが出来る、れっきとした事実です。


ロックイン~側は、ライジング~のこの対応に抗議しているのですが、私はライジング~側がやっていることが間違いだとは思いません

思えば、サマソニとフジロックは、出演アーティストが殆ど被っていないのです。不自然なくらいです。

きっと、両者でそういった約束が、自然にされているんでしょう。


ロッキン~側の主張は、アーティストが出たいフェスに出れるべきだ、という、あまりにバカバカしいものです。

ロッキンに出るアーティストは、大体、雑誌「ロッキンオンジャパン」に出てくる人たちで、もはやファミリーのようになっています。

アーティストにとって、ロッキンフェスに出れないというデメリットは、雑誌に出にくくなる=宣伝効果が減る、という一点にしかないのではないでしょうか。

そして、ロッキン側は、雑誌の宣伝効果で集客もバッチリ、収益がっぽり、といきたいところを、ライジングにいいアーティストを持っていかれてしまい、怒っているでしょうね。


現状、日本にはフェスが増えすぎました

他国のアーティストのことは知りませんが、「夏フェスツアー」なんてものが公然と存在しているのって、日本だけだと思います。

当然、アーティストのフェスへの特別感もなくなります。

それが昨今の「フェスのマンネリ化」に繋がっているのだと思います。

もっと、減っていいと思います。


はっきりいって、ライジングのメンツはロッキンに遥かに勝っています。

北海道じゃなければ参加したいくらい。


この調子でがんばれ、ライジング!!

あの、犯罪予告をインターネットですることにより、逮捕される人が続出している事、どうして放っておけるんでしょうか??

これは、私たちの言論の自由が奪われ始めていることに変わりないんですよ???


秋葉原の事件によって、より保守的になった人たちにとって、こういった処置は適正なものなのかも知れません。


でも、これって、「打倒!読売ジャイアンツ!!」と書いた人がファンに非国民呼ばわりされることと同じで、こういった現実は決して遠いところにあるものではなく、むしろ、


私たちが、言論の統制を許してしまったことに変わりありません。


確かに、放っておくわけにはいかないですよね。

でも、殺人が起こってしまった原因を、犯罪予告を見過ごしてしまったことに設定するのはナンセンス。

もっともっと根源的な、派遣社員の制度を見直しましょう、とか、地域の連携の強化、とか、叫ばれるべきことは沢山あるんです。

メディアが、より刺激的な方へ消費者を導いている責任は大きい。でも、あまりにも犯罪に対して無関心で、完了の対応に任せっきりの消費者にはもっと大きな責任があります。


こういう事をひっくるめての、インターネットの弊害、というなら納得がいきます。

本当に、社会全体が幼稚すぎます。

悲しい。としか言いようがないです。


何に、って・・・・・。



あの報道に、です。

ニュースの殆どが、容疑者のネットへの傾倒と、心の弱さだけを取り上げ、彼を異常者扱いしようとしているように感じます。


私は彼と同年代です。

そして、かつての酒鬼薔薇や、九州でバスジャックをした17歳の少年とも、彼は同い年。


そんな私たちの育った世界では、物心が付いたと同時にバブルが崩壊し、サリン事件が起き、9.11が起き、おまけに就職難で・・・・と、将来を悲観せざるを得ない世の中でした。

更に、高校生くらいで携帯電話を持ち始め、高校卒業くらいの時にはパソコンが家にあって当たり前の世の中(もちろん、無い人だっていましたけどね)。


急速に、世の中が閉鎖的になっていった中で、育ちました。

目に映る大人は、子供に個性を持て、と言いながら常識を押し付けて、いつまでも自分たち中心の世界を守ろうとする。


この間テレビで、久米宏が司会で、私たち20代の事を「新日本人」と名付けましょう、と言っていました。

ふざけるな、と。こっちから言わせてもらえば、あなたたちが「旧日本人」なんですよ。


メディア業界に身を置く人は、もっと、20代の目線からモノを見つめて欲しいのです。

私が書いたことは、偏っているかも知れません。が、事実の一つです。

若い人たちが置かれた状況、これを知らないことには、事件は解決した、とはいえないし、今後「未然に防ぐ」事は不可能でしょう。



銀杏BOYZのミネタのMCに、こんなのがありました。


「この中に、酒鬼薔薇聖斗君はいますか。

この中に、酒鬼薔薇聖斗君はいますか。

僕だって、人を殺したいと思ったことはあるよ。

でも、僕はしなかった。僕には、音楽があったから。友達が、好きな人がいたから」


ミネタは現代の詩人だな。

ブログネタ:あなたの「座右の銘」教えて 参加中
本文はここから

座右の銘、たくさんあります。

♪気を抜け 手を抜くな 時々 甘えるな

奥田民生「人の息子」の歌詞です。言い得て妙。
奥田氏の生き方そのものな感じがします。脱力感があるけどやるときゃやるよ、という空気を出していたいです。


・ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず

「方丈記」の出だしですね。
いつも同じ私に見えても、同じじゃないし、それは他人も同じことです。
そういう距離の取り方をお互いに出来たら、もっと気楽なんじゃないかと。


・結局誰も悪くない

これは誰の言葉でもないんですが・・・いつも腹が立ったときに、落ち着くために念じている言葉です。
誰も彼も、悪意があって何かしているわけじゃないでしょう。そう思うと、許せるようになります。
結局、腹を立ててる自分に非があるような気になって・・・おっと、悲観的になってしまいました。


・歓びとは 誰かが去るかなしみを 胸に抱きながらこぼれた 一粒の雫なんだろう

くるり「jubilee」の歌詞です。
悲しいときに思い出します。悲しむと言う事は、前向きなことなんだと思えます。


世の中には私を救うための言葉が沢山眠っています。幸せです。