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同じ「事実」でも人によって認識が違う
例えば、平凡な一年が過ぎたとしよう
これを、「何ごともなくて良かった」と捉える人もいれば
「刺激的なことが何もない退屈な一年だった」と捉える人もいる
同じ事実でも人によって認識が違うので、幸福度が変わってしまうのだ。
そして、「刺激のない一年だった」と捉える人がなぜそのような景色になってしまうかというとやはり、「欲望」というフィルターをかけているからだ。
欲望が強くなると平凡な暮らしでは満足いかなくなってしまう。
仏教には「無財餓鬼」と「有財餓鬼」という言葉がある。
「無財餓鬼」とはお金がない人が「お金が欲しい欲しい」と求めることだ。
一方で「有財餓鬼」はお金がある人が「もっと欲しいもっと欲しい」と求めることだ。
お金があったとしても欲望が暴走している限りは苦しいのだ。
欲望はさらなる欲望を生むだけで、そこに終わりはない。
「餓鬼」である以上は苦しさが続き、心の平穏は訪れないのだ。
欲望を肥大化させずにゆっくり生きよう。
欲望というフィルターを通さずに、世界をあるがままに受け止めてみるのだ。
何もないことほど幸せなこともない。
あなたが今日も穏やかであることを願う。
オレはそう思っちゃうんだよね
恋愛マスターくじら