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美しさを求める気持ちってどこからきてるかお分かりだろうか。

 

 

 

 

人間は最も特徴のない平均的な顔を「美しい」と表現する。

 

 

 

 

外見的に美しいとは「超普通だねー!」ってことなのだ。

 

 

 

 

変な部分がない顔という言い方もできるだろう。

 

 

 

 

良い顔ではなく、悪い部分がない顔という減点法なのだ。

 

 

 

 

美容整形などをする人は普通になりたいと思っている。

 

 

 

 

普通の人より鼻の大きさを2倍にして欲しいという人はいない。

 

 

 

 

つまり、美しさを求めるとは「みんなと同じになりたい」という願望なのだ。

 

 

 

 

しかし、以前このブログでも書いたが、この世に同じ人間など一人もいない。

 

 

 

 

ちゃんと見れば、一人一人全く違った人間なのだ。

 

 

 

 

なのに、なぜか我々はそこに「同じ」を求める。

 

 

 

 

これは一人一人が「違って当然」という生物の前提を忘れてしまった現代病でもあるのだ。

 

 

 

 

人と違うなんて当たり前なんだから、ただ受け入れたらいいのだが、隠したいとか治したいって思う。

 

 

 

 

人と違うことをマイナスだと思い込んでしまっているのだ。

 

 

 

 

この考え方自体が心を病んでいる。

 

 

 

 

実際に美容整形を繰り返すメンタル疾患の人もいるだろう。

 

 

 

 

最近になって、多様性が重んじられてきて、変な部分を隠さない人が出てきた。

 

 

 

 

これは別に称賛されることでもなく、当たり前なのだ。

 

 

 

 

健康な心を取り戻す人が出てきたというだけだ。

 

 

 

 

「同じになりたい」という方が不健康であり、生物としての前提を無視しているのだ。

 

 

 

 

美しい方がモテるからそうなりたいという人もいるかもしれないが、大昔は外見の美しさが「病気ではない」という健康度の目安だったってだけで、美しいからモテるっていうのは表面的な基準だ。

 

 

 

 

変な顔でも健康ならモテる。今は健康診断もあるのだ。

 

 

 

 

外見の美しさを追求し過ぎるのは不健康な証だ。

 

 

 

 

なぜ同じになどなろうとするのだ。

 

 

 

 

あなたはあなたでいいのだ。

 

 

 

 

そのままを受け入れ、堂々としていればいいのだ。

 

 

 

 

変な部分を指摘されるんじゃないかとビクビクした一生を送るよりも、ありのままの自分で笑って暮らせる人生を送れ。

 

 

 

 

美しいだのブサイクだのというくだらないカテゴリー分けに飲み込まれるな。

 

 

 

 

同じを求めず、違いを愛せ。

 

 

 

 

自分を心から受け入れられるようになれば、全部楽しいぞ。

 

 

 

 

オレはそう思っちゃうんだよね

 

 

 

 

恋愛マスターくじら

 

 

 

変な顔でも明るいよw






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