ここんとこホントに地味な生活を送っています。


なんせ単独ライブの準備やらコラム書きなどのテーブル作業ばかり。


しかもその内容をここでお伝えしたいんですが、単独が終わるまでは書けない事が多いんです。すいません。


ライブ会場に入れるお客さんの数よりこのブログを見てくれている方のほうが圧倒的に多いので、この辺がジレンマですが・・。


あまりにも地味なブログが続いているので昔「SPA!」で連載していたオレの書評をひとつ載せてみました。




バッシングを承知で「新しい形」に手を出す。そんな遊び心を持つ人は必読!

小学生のとき一番嫌いだった宿題が読書感想文。そんなオレが本の「書評」を書くことになった。人生ってわからないもんだ。苦手だろうが嫌いだろうがとりあえず「やってみる主義」のオレなんで好き勝手書いてみよう。今回はその第一弾。読書家でもなんでもないオレだが、そんなオレの中にも作家界のカリスマがいる。
東野圭吾氏。
全作品を読み、今では東野圭吾の名前を見れば無条件でその本を購入する。絶対的な信頼感。今回取り上げるのはそんな東野作品の中でも異色作といえるのでは。『虹を操る少年』。
ミステリーといえば誰々が殺されて誰々が犯人かと思いきや実は誰々が犯人だった、みたいなことを思い浮かべるがこの作品は違う。こんな形のミステリーがあったのかと衝撃を受けた作品。まあ簡単に言うと、天才高校生「光瑠」は光を演奏することができる。彼はそれを「光楽」と呼びコンサートを開く。「光楽」は瞬く間に若者たちの支持を受け、多くの人が共鳴していく。まさに新しいエンターテインメントの誕生。しかし、それを脅威と感じた大人たちが「光楽」を排除しようと光瑠たちに襲いかかる。
いつの時代もエンターテインメントの中で「新しい形」のものは賛否両論の渦に巻き込まれる。オレもこういう仕事をしていて思うが「新しい形」を見つけるのが最も難しい。一生かかって一つでも見つけられたらいいほうだと思う。「新しい形」を作ろうとすると何かしらの非難を受ける、これは当たり前。そんなことは百も承知で挑戦する。挑戦より面白い遊びなんてないんじゃないかな。そして遊びは真剣にやるからこそ面白い。人生かけてやってたらもう笑うしかない。そんな遊び人たちに勇気の一冊。