東野圭吾著「使命と魂のリミット」読みました。


東野氏は肩書きは一応ミステリー作家ですが最近ではミステリーの枠を飛び出して、もはや東野圭吾という一ジャンルをきづいてしまったかのような印象もうけます。


最近の傾向としては時事ネタといいますか、その時々で社会的に話題になっていることをテーマに仕上げている作品も多い。


今回のテーマは「医療ミス」


この重く、デリケートなテーマを見事に東野節でミステリーに仕上げている。


これから読む人のために内容に触れるのは避けます。


毎回思うんだけど東野作品は本当に文章のテンポがいい。


小気味良くて読みやすい。


こういうのってセンスだと思う。


もう説明できるようなもんじゃない。


生まれながらにしてその人に備わっている感覚。


センスって凄いと思う。


極端な話、センスだけで一生食うに困らないことだってある。


オレはお笑いの世界にいるけどやっぱり一番大事なのはセンスだ。


こればかりはどうしようもない。


そこには現実として努力ではどうにもならないものがある。


現に昔はつまらなかったんだけど最近面白くなった、なんて人をオレは見たことがない。


面白い奴は始めから面白い。


技術がうまくなることはあっても途中から面白くなることはない。


この本の中で何度か出てくる一文があるんだけど「人間は生まれながらにして使命を与えられている」


これは納得の一文だと思う。やはりその人に適した世界というのがあるのだと。


自分のセンスを生かせる場所。


これは人間関係にも当てはまると思う。


人はセンスに惚れる。


つまりその人のセンスが好きな人にはいろんなことに共感を覚え、何をしていても非常に心地よく感じる。しっくりくる。


しかし、センスが合わない人とは何をやっていても合わない気がしてしまう。


人間的に嫌いではなくてもセンスが合わないと、ことあるごとにイライラしたりすることがある。


これはどうしようもない。


だからこそ人間関係は面白いとも感じる。


センスは才能と書く。


オレは基本的に頑張らない。


それは怠け者とかじゃなくて頑張っても変わらないから。


今のままでいいと思う。


センスは今あるもので受け入れていかなければしょうがない。


それより上のセンスや別のセンスを求めても手に入らない。


ただセンスを磨くことは出来ると思う。


センスの磨き方を見つける努力をすればいいんじゃないかな。