脳卒中を専門にしている医者ですが、自身の前立腺癌の経過を記録していきながら、治療法など解説していきます

”愛おしいこの世で使命感を持って毎日を死ぬまで生きる” の実践はなるのか

T3bN0M0、ステージC、グリーソンスコア(4+4=)8、PSA131、自覚症状なし、2024/1/25から治療開始

 

入院中に日々ブログで発信しようと思っていましたが、旅行記と異なりなかなか難しかったので

退院後の今、落ち着いた状況で入院治療の総括を記録していきたいと思います。これから治療に臨む方の参考になればと思います。

今回は手術直後に死を覚悟した時の心の状態に関する事柄です

 

6月13日に入院して14日に手術(ロボット支援前立腺全摘出手術)うけました。

14日の夕方に手術が終わり麻酔からも覚醒して自室に戻りましたが、覚醒直後からめまいと嘔気が強く、丸一日動けない、動くと吐く、という状態に陥りました。結果としては麻薬系鎮痛薬フェンタニルの中途半端な持続点滴に私がめまい感に対して過敏な体質であったことが原因でしたが、当時いつ軽快するともしれない激しいめまい感に対して小脳梗塞が併発したのかもと苦しい中で考えていました。小脳梗塞であれば早期に診断治療しない場合には梗塞部位の浮腫により脳幹が圧迫されて生命の危険があります。術後24時間以内に脳梗塞急性期血行再建治療もできるわけがなく、死を覚悟せざるを得ないと自分で考えた次第です。

 

ベッドの上で動くことができない状況で目に入った景色は、部屋の掛け時計とカーテンの隙間から見える曇り空

 

掛け時計にはDAILYのロゴ、ぼんやりした頭で見たときBALLYにみえました。

頭の中で「さすが儲かっている病院は時計も外国ブランドなんだー」、「BALLYってスイスのブランドで、靴とか持ってたことあるなー」と思いました

カーテンの隙間から見えた景色は京都盆地を取り巻く低山で(実は違います)、「たくさんの山をトレランしたなー」と思いました

短時間ですが死を覚悟した中では「今こんなとこで死んでたまるか、もっとブランド品買いたいのに」とか「まだまだいろいろな山を駆けたいのに」とか全くありませんでした

”もう十分”でも”悔しい”でも”絶対に嫌”でもなく、感情は「無」でした

自分が癌になったこと、この病院で治療受けることを選択したこと、術後合併症の不運に見舞われたこと、全てに何の感情もなく「無」でした。

癌の診断の時に大きな精神的葛藤の期間を過ごしたこと、いま体がとても苦しいことの条件下で「無」感情になったのでしょうか、自分でもベッドの上で不思議なもんだなーと思っていました。

結局、今回の癌は寛解となり、死に直面する状況ではなくなりましたが、今後何らかの原因で必ず死を迎えます。その時も「無」の気持ちで寝ていられるかわかりませんが、少し思いの深まった体験でした

 

(ちなみにDAILY時計はシチズンの子会社リズム時計のシリーズ名で、こちら日本製ですが高品質な時計です、今調べました)

 

今はとても元気で、これから九州の部屋から大阪の部屋に引っ越し

大阪の病院の院長になって現場にフルに戻ります

癌は寛解なので今後は定期的な再発チェックのプロセスになります

この「癌記録」のブログも投稿頻度は減少します。昨年の秋までのような自転車とかグルメとか、あまり人のためにならず面白くない記事が多くなると思います

 

2023/11/23 131(がん検診) 

2024/1/25から内分泌療法(CAB)開始

2/8     37.686

3/7     0.937 (薬疹でアーリーダ中止 ステロイド短期間内服)

4/4               0.192 (ビカルタミド開始)

5/2     0.110

5/30       0.058 (術前最終値)

6/14    前立腺全摘術 断端陰性で寛解