脳卒中を専門にしている医者ですが、自身の前立腺癌の経過を記録していきながら、治療法など解説していきます

”愛おしいこの世で使命感を持って毎日を死ぬまで生きる” の実践はなるのか

T3bN0M0、ステージC、グリーソンスコア(4+4=)8、PSA131、自覚症状なし、2024/1/25から治療開始

 

入院中に日々ブログで発信しようと思っていましたが、旅行記と異なりなかなか難しかったので

退院後の今、落ち着いた状況で入院治療の総括を記録していきたいと思います。これから治療に臨む方の参考になればと思います。

今回は入院生活に関する事柄です

 

6月14日に手術して6月22日に退院しました。特に後遺症はなく6月24日月曜日から大阪の病院へ出勤開始しましたが、6月30日に突然発熱して病院を受診したところ手術部位のリンパ節郭清後止血剤散布部に一部リンパ液が貯留して細菌が入り込んだとの事で4日間再入院治療となりました。幸い大事には至らずに元気になりました。

入院中に主治医のI先生から手術摘出標本の最終病理診断結果が知らされました。前立腺癌は寛解、断端陽性も何も癌細胞は見当たらないと。つまり、術前の内分泌療法が奏効してほぼ全ての癌細胞は死滅しているのですが、内分泌療法だけでは数年後に隠れた癌細胞が必ず再発してくるので前立腺を全摘してしまっているのでその心配もまずないとの事。術前治療と手術頑張ったおかげで、今自分の体の中には癌細胞はいません。術後放射線治療、抗がん剤治療も不要になりました。あー頑張ってよかった、と心から思います。

 

さて、結果として2回となってしましましたが、入院生活についてです。医師としての職場ですが、患者にならなければ見えなかったことがありました

1.カッコ悪いけど、それどころじゃないんです

 術後2日間は前開きの丈短い浴衣を着せられ大人の紙おむつ、尿道カテーテル、点滴の管。紙おむつの袖からおしっこの管が出ているので自然に股間があらわになってしまいます。術後は看護師詰所の隣の部屋なので部屋の前を色々な人が通ります。今思うととても紙おむつさらけ出した姿で寝ていたのですが、苦しくてそれどころじゃないんです。元気な時は社会的地位のある紳士であろうとも、いったん患者になれば痛みや苦しさが勝って自身の威厳はすっ飛ぶんですね。で、体の回復に従って普通のパジャマになりますが、術後1週間は尿の管が入ったままになるので、このような点滴台と常に行動を共にします

病院の廊下では、点滴は誇らしいのですが、蓄尿バックは自分の尿の色と量を衆人にさらすわけなのでカッコ悪い。でも、治るためなら見栄えなんて関係ありません、ゴロゴロと売店や検査に移動していました

2.お部屋の環境は劣悪だけど、それどころじゃないんです

 古い病院でしたので金属製の扉は開閉のたびに「ギギークーーウ」とホーンテッドマンションの音が出ます。

看護師さんが検温に来てくれるたびにホーンテッドマンションで、必ず目が覚めてしまいます。その他でも病院というところは実にうるさいものです。廊下での職員の会話、処置車のガタガタガタ、どこかの部屋のアラーム音。でも看護師さんがいてくれていることが一番でした。また、病院のベッドはシングルです(当たり前)。いつもはセミダブルなので寝がえりをうつとそこは端っこ、おまけに病院のベッドには柵があるので手がぶつかり楽に寝返りができません。またエアコンも古く温度設定ができずにつけると寒く消すと暑い。でも、すぐ近くに医師や看護師が24時間いる安心感には代えられません。

3.食事は美味しくないけど、それどころじゃないんです

 そりゃ、病院食なので栄養バランスとか減塩とかいろいろ考えられているのでしょうが、不味いものは不味い。最近は配膳車も進化して暖かいものも冷たいものもそのままで供されます。でも、美味しいおかずはありませんでした。もともと舌が肥えているので仕方ないですがこれが一番堪えました。自分のせいなので文句は言えません。病院の食事のほうが正しいです。

4.退院したらいつもの生活が素晴らしいことに気づいた

 退院して帰る途中のJR駅のスタバのコーヒーの美味しいことと言ったら。自宅のテレビの美しさと言ったら、セミダブルベッドのエアウィーヴ+パシーマのシーツの寝やすさと言ったら、いちいち素晴らしい質に感動します。

 

さて、以上概ね古い病院はいかに環境が悪いかを記載しましたが、この病院は患者さんでいっぱいです。経営者目線で述べますが、病院は医療を売る商売です。商品は医者、お客である患者さんは医者の評判や病院ののれん(歴史や風評)で医療行為を購入します。私も病院経営者としてこの辺は特に良い勉強になりました。

ホテルは新しいほうがいいと思いますが、病院は医者と評判で決めましょう