こんにちは。
プラクティショナーの佐藤直子です。
久しぶりの投稿です。
このブログの管理人 渡辺美智恵さんが、ご自身の乳がんのことをこの場で記してくださり、祈りへの歩みをご紹介くださっています。
ならば、わたしは、彼女が勇気と強さを輝かしく見せてくれ、オープンにしてくださる心意気に応えるべく、この場を一緒に盛り上げたく思っています。
美智恵さんがシェアしてくださったように、わたし達の周囲での友人が、または、家族が、何らかな病気を患っている、または、患ったとき、それを目の当たりにする側は、どこに、どんな心を向けるか?または向けたか?に迷う経験はありませんか?お見舞いに行った際、なんて声をかけたら良いか?なんて返答をしたら良いか?を。
わたし達は霊的な存在なのでした、よね?笑
だからこそ、ほんとうに力があるところにだけを、見続ける選択ができるとも言えるでしょうね⁉︎ 但し、それを選びたい、と思えば…の話しですが。^^;
ほんとうに力がある部分、つまり、愛の部分を見続ける、見続けたいと願う、信頼したいという選択をすることによって、ほんとうに力があることを、わたし達は知り、納得できるわけです。
愛、といっても目の前で患っているように見えている方から、わたしの肉眼で捉えられるようなハートの形をした愛や、キラキラした形のものが飛び出してくるわけではありませんね。(笑)
愛とは抽象的なモノですから、肉眼で捉えられないですからね。
そこで、祈り、の登場なわけです‼︎
「今わたしには、目の前の方がご病気で患っているように見えてしまうけれども、それはとても辛そうで可哀想だと思ってしまうのだけれど、このわたしの傲慢な思いで、囲うのを辞めます。(=訂正します) なぜなら、わたし達は霊的な存在なのであれば、この方にも溢れる愛と強さがあるということ。ならば、わたしはほんとうにそれを見たいし、それを、わたしは信頼したいし、それをわたしが感じ実感できるように、どうか助けてください…。」
と。
祈りのサンプル例ですが、この祈りは、お見舞いに伺う前でもいいのですが、患っている方を前にしながら、その方とおしゃべりしながらでも、心だけはこの祈りを続けることはできるのですよ?!
祈り続けている最中のわたしは、辛そうだ..可哀想だ..という わたしの勝手な感情で、目の前の人を囲うことなく、そして、健康なわたしと健康でない目の前のこの人..という前提をもつくらない、対等な〈あなたとわたし〉で、コミュニケーションができるのです。
そして、ベッドで寝ている状況のこの方の、肉眼に捉われない 奥の奥から、愛とやら?強さとやら?が溢れでて、その優しさに触れさせていただくかのような経験をさせていただくのです。決して肉眼では見えません?! 目の前にいらしてくださる方から漂うすべてを感じられ、わたしは愛に触れ、温かさで涙が溢れてくるのです…静かな平安の中で、あなたとわたしは今在ると。
この経験は一度でもすると、必ずやその使い方をしない自分を選べなくなるでしょう?! なぜなら、それがほんらいのわたし達の心の在り方、もともとそのようにしか力が発揮されることはないのでしょうし、そうやって目の前の方と手を携えて、心を再建し直していくことが喜びでもあるからなのでしょうね。
美智恵さんのシェアを読ませていただきながら、わたしも今ここで、プラクティショナーのプロセスを歩ませていただき、磨いていきたいと思っています。是非皆さんも、わたしたちプラクティショナーと、ご一緒に…お願いいたします。
プラクティショナーの佐藤直子です。
久しぶりの投稿です。
このブログの管理人 渡辺美智恵さんが、ご自身の乳がんのことをこの場で記してくださり、祈りへの歩みをご紹介くださっています。
ならば、わたしは、彼女が勇気と強さを輝かしく見せてくれ、オープンにしてくださる心意気に応えるべく、この場を一緒に盛り上げたく思っています。
美智恵さんがシェアしてくださったように、わたし達の周囲での友人が、または、家族が、何らかな病気を患っている、または、患ったとき、それを目の当たりにする側は、どこに、どんな心を向けるか?または向けたか?に迷う経験はありませんか?お見舞いに行った際、なんて声をかけたら良いか?なんて返答をしたら良いか?を。
わたし達は霊的な存在なのでした、よね?笑
だからこそ、ほんとうに力があるところにだけを、見続ける選択ができるとも言えるでしょうね⁉︎ 但し、それを選びたい、と思えば…の話しですが。^^;
ほんとうに力がある部分、つまり、愛の部分を見続ける、見続けたいと願う、信頼したいという選択をすることによって、ほんとうに力があることを、わたし達は知り、納得できるわけです。
愛、といっても目の前で患っているように見えている方から、わたしの肉眼で捉えられるようなハートの形をした愛や、キラキラした形のものが飛び出してくるわけではありませんね。(笑)
愛とは抽象的なモノですから、肉眼で捉えられないですからね。
そこで、祈り、の登場なわけです‼︎
「今わたしには、目の前の方がご病気で患っているように見えてしまうけれども、それはとても辛そうで可哀想だと思ってしまうのだけれど、このわたしの傲慢な思いで、囲うのを辞めます。(=訂正します) なぜなら、わたし達は霊的な存在なのであれば、この方にも溢れる愛と強さがあるということ。ならば、わたしはほんとうにそれを見たいし、それを、わたしは信頼したいし、それをわたしが感じ実感できるように、どうか助けてください…。」
と。
祈りのサンプル例ですが、この祈りは、お見舞いに伺う前でもいいのですが、患っている方を前にしながら、その方とおしゃべりしながらでも、心だけはこの祈りを続けることはできるのですよ?!
祈り続けている最中のわたしは、辛そうだ..可哀想だ..という わたしの勝手な感情で、目の前の人を囲うことなく、そして、健康なわたしと健康でない目の前のこの人..という前提をもつくらない、対等な〈あなたとわたし〉で、コミュニケーションができるのです。
そして、ベッドで寝ている状況のこの方の、肉眼に捉われない 奥の奥から、愛とやら?強さとやら?が溢れでて、その優しさに触れさせていただくかのような経験をさせていただくのです。決して肉眼では見えません?! 目の前にいらしてくださる方から漂うすべてを感じられ、わたしは愛に触れ、温かさで涙が溢れてくるのです…静かな平安の中で、あなたとわたしは今在ると。
この経験は一度でもすると、必ずやその使い方をしない自分を選べなくなるでしょう?! なぜなら、それがほんらいのわたし達の心の在り方、もともとそのようにしか力が発揮されることはないのでしょうし、そうやって目の前の方と手を携えて、心を再建し直していくことが喜びでもあるからなのでしょうね。
美智恵さんのシェアを読ませていただきながら、わたしも今ここで、プラクティショナーのプロセスを歩ませていただき、磨いていきたいと思っています。是非皆さんも、わたしたちプラクティショナーと、ご一緒に…お願いいたします。