皆さまこんにちは
佐藤直子です。
 
ゆるしの経験がくっきりしているかの日々を過ごしています。
そんな軌跡(奇跡ではなく・・)のさなかをシェアさせていただいています。
・・とにかくわたしは朝から祈っています・・
「息子と(息子の)聖霊の学びの今を、わたしが邪魔をしないように助けてほしい」と。
 
今日は、先日の第1部に続く、第2部です。
 
<第2部>
これで息子を晴れ渡る心で、送り出せる!わたしの心を明け渡した今、息子の経験がどのような道であっても完全なのだろう~と受けとれる!と確信に触れている、そんな感覚を感じていました。
ところが、次なるわたしの心の反応に出会うことになるのは、すぐにやってきました。
数日前に、息子がはなったボヤキや、ふとした本音や弱音などから、わたしは心を揺らし、ホーリースピリットを忘れ、聞き流すことができなくなっていたわけでした。たった数日前です。
 
確かに受験日程が始まり、息子も焦りを感じたり、その焦りに押しつぶされそうになっていたのかもしれません。
わたしの周囲のママ友達なら、いっときの感情の高ぶりだろう程度で受け止め、なんなく無視しただろうし、すぐさま気持ちを変え平常心で向かい合うことをしただろうと想像できます。
以前のわたしでも、それを難なくできていただろうとも思います。
しかし、その時の私には、それができなかったのです……というのは、どこかで、ある秘密にまたもや気づいき始めていたからでした。
その気づきをあえて記してみると『息子は、この間際なときを使って、わたしがスルーしてもおかしくないだろう何らかな感情?信念?を…それも最もゆるす必要がある題材を運んで来たのだな。そして、わたしにゆるしを思い出すためのギフトなのかも。』という感じでした。
またもや引き金となったのは、やはり息子の発言です。 
 「今になって思うのは、志望校である〇〇大学に、合格できても~できなくても~自分は泣けない…。」と言った発言でした。
それはどのような意味かとたずねると、息子は根拠なく自分は大丈夫だろう~受かるだろう~と過信していたということ、どこかで自分は受験をなめていたかもしれないということ~だから本当に力を出し切ったとはいえない、だから爽快なる涙はない…という内容でした。  
わたしは、「はーー?!」という思いと共に、ゆるせなくなりました。あきれました。    
息子は100%の心を傾けることなく今まで日々を取り組んでいたのか…今に心を投じず、大事にせず、何となく取り組んでいたのか…というわたしの怒り(攻撃心)が、ジャッジに被せ、噴出したかのようでした。一生懸命やらなかった息子、だとジャッジし、わたしはゆるせなくなったのです。
 
第1部では、速やかに~自然に気づくことができましたし、明け渡したいという決意が見えていました。が今回は、やけに『ゆるせない!』という感情が居座っているようでもありました。 
 ところで…『ゆるせない!』…この感情は、きついものですよね…わたし達は心の底から愛することをしたい~それが私たちに与えられた愛の一部であり機能であるのに、ゆるすことができない=愛することができない『自分』がいるわけですから…。ゆるせない=愛することができない(=聞き流すことができない)のには、やはり何か隠し持つ思い(感情)や信念信条が、わたし自身に張り付けているからであり、その張り付けている信条等に寄り掛かりすぎているので、信条にはどのようなことが書かれているのか見えなくなっていたのでしょう。
見えなっていたからこそ、まるでそこを猛烈にほじくられたかのごとく、息子からのひょんな発言から引き出されそういになり、反応したわけです。
信条や信念は、誰にでもあると思います。それをよりどころとして、時にその掲げた信条があることが、自分が自分でいられた実感もありましたし、助けになったこともあったと思えます。それが、いつしか『その信条こそがわたしであり、大事な生きる姿勢である』というスローガンに変わり、生きてきたとさえ思います。むしろスローガンをもっていないと生きていけないと思っていたともいえます。だから、スローガンではない考えやアイデアに出会うと、猛烈にその考えやアイデアを拒否したくなるわけです。そんな考えは絶対に変だ!と。
息子の発言を聞いたわたしは、息子に対し、
・そんな不真面目に受験を考えていた息子。
不真面目に生きてきている息子。
とジャッジし、自分の信条やスローガンとは違う息子を否定しにかかっていたわけです。
・・・わたしは気づきました・・・何をするにも100%心を投じるべきだ!と固く信じていた信条、スローガンをもち、これを大事にし過ぎていたのかもしれないことに。
スローガンはもちろん悪い事ではないですが、しかし、いつか必ず自分を突き刺す刃ともなります。人に向けてジャッジしながら、自分にも掲げているわけですから…
わたしは、このスローガンを携え、世界を~そして自分を~見続ける、見張っています。
そして、ジャッジしています。
この眼差しを想像するに、優しいまなざしではないでしょうね~(笑)
厳しいまなざしだと思います。
厳しいまなざしで、わたし自身を厳しく見張り、スローガンに当てはまっていないことを見つけると「できてない!自分だ」とジャッジするのでしょう。できていないから、だからもっと一生懸命やらなきゃ!というけしかける囁きに応えることになるでしょう。その囁きを採用しているとき、不安と心配は終わらず、そして厳しい刃が 自分に向けている…状態なのです。

神さまはそんなに厳しいのでしょうかね⁈  (^-^)  
神さまは愛なのに、一生懸命やったからご褒美をくれるorくれない~なんてことはないですよね。
それでは、神さまはいつも神さまの条件に見合う基準(条件つき)で、ご褒美をくださるorくださらない、ということになるし、そもそも  その架空な条件内容を決めたのは、わたしでして…(^^;;
この気づきを経験してからというもの、祈りへ身を任せるスピードが速まったかの感覚です。そして、すっかり わたしは、ほんとうに委ねた☆   面持ちで、受験に向かう息子を送り出しています。ほんとうに気持ちよく、何の疑いもなく、『どうぞ、良き経験を…』と。
息子も、そして、 わたしも、完全に守られてある存在。だからこそ、どの道が目の前に表れても、ただその道を歩めばいい、という真実を、実感した経験となりました。 長々お読みくださり、ほんとうにどうもありがとうございます。(^-^)