スワンソンの『経路積分法』を読んでいたんですが、グラスマン数についてとても丁寧に書いてますね。
グラスマン数については物理本としては一番詳しいと思います。

経路積分法―量子力学から場の理論へ (物理学叢書)/M.S. スワンソン
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一つの章を丸々グラスマン数に割いてます。
基本的なことから、古典力学、量子論、さらには超対称性について書いていますね。

途中にある問題はレベル的にはちょっと簡単かもしれませんが、最初に学習する分にはこれくらいがちょうど良いと思います。


あと、グラスマンって言語学、生理学にも業績を残してるんですね。
言語に関するグラスマンの法則。色彩に関するグラスマンの法則。



言語についてのグラスマンの法則について少し調べてみましたが、なかなか面白いじゃないか(笑)

まず、グリム童話で良く知られるグリム兄弟の兄が発表したグリムの法則があり、
これはまあ、簡単に言うと「ゲルマン祖語はインドヨーロッパ祖語から派生する際に子音が規則的に変化した。」ってことです。

つまり、子音の対応関係がはっきりしているということですね。

インドヨーロッパ祖語--グリムの法則→ゲルマン祖語

グリムの法則が準同型写像みたいなものです。

しかしながら、その後、例外も見つかったが、うまく説明できなかった。

それらの例外を説明したのが、ヴェルナーの法則やグラスマンの法則みたいですね。
グリムの法則とヴェルナーの法則でゲルマン語派の子音推移の大半が説明できるようです。
しかし、最初に例外に対する法則を発見したのがグラスマンだったらしいです。


なんだと・・・ドイツ語が他の言語と子音が大きく違うのは上の変化とは別に第二次子音推移と呼ばれる変化があったからなのか・・・
なるほど!

言語学面白いかも・・・

話がかなりそれましたが、まあ、グラスマンはグラスマン数があまりにも時代を先行していたので認められず、数学をやめて、言語学に行ったそうです。そして、こんな法則を発見したわけです。
やはり数学者は法則性、規則性を見抜くのに長けているんでしょうね。

現代の数学者も純粋数学ばかりせずに、言語学者や社会学をやればすごい業績が残せそうですね。

今日はこの辺で。

ノシ







ゲージ場を元とする配位空間Aを考えるときに、ゲージ変換はf:A→Aですよね。
fを繰り返せば、ある軌道が得られ、これをゲージ軌道という。

ゲージ軌道上に沿う運動はゲージ変換を繰り返していることなので、物理的運動ではない。
つまりは物理的運動はゲージ軌道を横切っていることを意味します。

物理的運動はゲージ変換しても不変なので、物理的運動は同軌道上のどこを横切っても同じ。

これを踏まえて、経路積分を行うことを考えると、
経路積分を全空間を積分するが同軌道pを横切る運動は同じ運動であるので、同じ運動をいくつも数え上げていることになる。
これが発散の原因になるわけです。

だから、ゲージを固定してやる(軌道の代表点を決める)必要があります。

つまり、p上のゲージ場の集合をGとしてやれば、
経路積分をする空間はA/Gという商空間になるわけです。(ゲージ変換で結びつく元を同値類で括ったわけです。)

しかしながら、ゲージ固定の際に選んだA上の代表点が、全ての軌道上にあるとは限りませんよね。
さらには物理的運動がゲージ軌道を一度だけ横切る保障もありませんよね。

可換ゲージの場合はゲージ変換を考えても分かるように、一つの点を選べば、全てのゲージに通じ、さらに一意的ですよね。

しかし、非可換の場合はそうもいかないことがゲージ変換の形からも分かります。

この固定と一意性の問題をGribov問題というのです。


今回はこの辺で。

おそらく続く~

ノシ




なにこれ?

ニュートリノの詩だ。

Cosmic Gall

Neutrinos, they are very small.
They have no charge and have no mass
And do not interact at all.
The earth is just a silly ball
To them, through which they simply pass,
Like dustmaids through a drafty hall
Or photons through a sheet of glass.
They snub the most exquisite gas,
Ignore the most substantial wall,
Cold-shoulder steel and sounding brass,
Insult the stallion in his stall,
And scorning barriers of class,
Infiltrate you and me! Like tall
And painless guillotines, they fall
Down through our heads into the grass.
At night, they enter at Nepal
And pierce the lover and his lass
From underneath the bed - you call
It wonderful; I call it crass.

[John Updike]

John Updikeは「ニューヨーカー』の作家だったらしい。

当時はまだニュートリノはno massだったのですね。
ワイル方程式で扱えるみたいな~




物理の意味は何か?
と聞かれると、困りますよね。

僕は意味は「無い」と言ってます。

ただ、物理が僕たちの生活水準を高めているのは事実なので、これがある意味で物理の意味とも言えますが、そうしたら、人間の生活水準を高めることに意味があるのか?さらには人間を存続させることに・・・・
みたいな人間の存在に関わる問題になるので「無い」といってます。

たまに真理に到達する為に物理があると思ってる人がいますが、これは間違いです。

一応説明すると、
物理では真理に到達するのは絶対に無理です。
なぜなら、理論の正確性はその当時の 技術に依存し、さらに言えば僕たちの知覚に依存してるからです。

例を挙げると、プラトン、アリストテレスの時代に於ける元素解釈ですね。
この時代は元素は4つ火風水土かと思われていて、プラトンはこれに正多面体を対応させることで、真理に到達したと思っていました。
これは現在のドルトンの原子論を知ってるわれわれからすれば、馬鹿らしく、ハイゼンベルクも学生時代にプラトンの本を読んだときにこれで理解したと思ったのはなぜだ?と首をかしげてました。

しかし、これは当時の観測技術、つまり見るという観測によって得られた最高に正確な理論だったわけです。
化学実験も出来たわけではないので。4元素説は当時最高の理論。まさに真理だと思われていたのでしょうね。

そして、これは現在の場合にも当てはまります。
「現在の理論は正確だ!真理に近づいている!」と思ってるかもしれませんが、それが現在の観測レベルで正確なだけで、500年後の人からしたら馬鹿らしい理論かもしれません。

なぜこのようなことが起こるのか?

それはわれわれが真理だと思うことが真理かどうか知るすべが無いからです。

つまり、正しいかどうかはそれそれの事象に当てはめて見るしかない。

これを怠れば、上の例のような過ちや、量子力学の前のような楽観的な解釈に於ける過ちを犯しかねません。

しかし、全ての事象を調べることは無理なので結局は真理かどうか分からないということ、真理には到達できないということです。

全ての事象を調べるとか物理の目的と撞着してますが、仕方がないことです。
物理が誤謬の発見で発展する方法しか無いのですから・・・



だから、まあ、物理は自分が学んでいて楽しけりゃ良いんだと思います(笑)



うーん・・・
まず物理原理があり、それを定式化することが物理であると考えるのが一般的ですよね。

光速度不変+相対性   --定式化→ ローレンツ群

↑のようなのが最も分かりやすい例ですね。
(他にはファラデーの電気磁気の統一の後にマクスウェルが方程式を作ったように・・・。)

しかし、パウリがエーテルの存在を定式化に於ける不必要性を考慮した結果、排除したこと考えると、
物理原理は定式化を依存してるように思える。
つまり、物理原理を考える段階で定式化を考慮しているということです。

これはよくよく考えると当然といえるかもしれない。
ニュートンの『プリンキピア』でも最初の要請はいわゆるオッカム剃刀でしたよね。
原因に余計な飾り立てはいらない!というやつです。

現在でもこの要請に立脚して原理を導き出していますよね。
そして、この飾り立ては何にとって無駄なものかと考えると、当然定式化ですよね。
ニュートン自身は真理ではないから無駄であると考えたかも知れませんが現在の観点からすると定式化ですよね。

(物理が真理の探求でないことは多くの人が理解していると思いますが、一応説明すると→「物理の意味と自己矛盾性」

話を戻すと、
この要請により物理は始まり発展したわけですから、
解釈こそは変わったものの、切り離すことの出来ない、物理の最初で最高の原理ということになります。

そして、この原理は定式化を考慮してるわけだから、原理あっての定式化とはいえないと思います。
原理と定式化は相互依存しているということです。

つまり、量子力学を考えた際に量子力学の原理が良く分からないのは定式化にも問題がある可能性があるということです。
量子力学は数学的には完成している。といわれますが、このあたりはもっと考えてみる必要があると思います。