最近は
【症状を治す】ということすら
セラピストのエゴなのではないかと思っています。
良くない部分を対象化して
そこを埋め合わせるという
人を不完全なものとして
欠けているところを基準に観察するより
良い状態の全体性の基準に合わせて
その方を底上げするという
人を完全なものとして
より良く向上できるところを基準に観察する方が
ぜんぜんステキでしょう。
そんなふうに相手を観察するだけで
相手の伸びしろや
相手と自分の関係性や
自分自身の心の状態が
がとっても軽くなる。
人間はどんな人でも、神すら嫉妬するほどの
その方なりの、完全性を持っているのでは
と思います。
たまたまその完全性が
現状に合致していない不整合
ボタンのかけ違いが起こっているだけでは
ないのでしょうか。
だから、妙にしんどかったり辛い。
それを感じているということが
全体の基準からのズレに気づいているのですから
完全である証拠ではないですか。
セラピストができることは
ボタンのかけ違いを指摘するくらいの
わずかなことだと思う。
そのボタンに触れることもできなければ
かけ直すこともできない。
相手の気づいていない状態を知っていることから
神のような全能感を持ってしまうのは
危険です。
本来誰しも神のように、完全なのだと思う。
自分と同じ神に対して、低く見積もってはならない。
量子場調整という素晴らしい技術があるからこそ
セラピストとして謙虚な姿勢が
大事なのかと。
※2015年3月の記事です
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