恐怖の実体は、ありましぇん。
それは、陰のようなものです。
陰の実体が自分の肉体であるように、
恐怖の実体は自分の意識。
それを、お金や仕事や人間関係など、
外側の具体的な事象やものごとに
映し出して、怯えているのですね。
なんで人間ってそんなことするんですかね?
恐怖はもっとも原初的な感情なので
本能としての機能、
生きるための必要性なのでしょうかね。
ま、実体がないからこそ
実体をつくり出して
リアルな体験をしたいのでしょう。
そして、
恐怖や不安を感じなくするためには
そこから逃げたり
否定することではありましぇん。
そうしてもしゃーないのです。
逃げていても、見ないようにしているだけで、
そのものは変わらず残っているのですから
見えない分、どんどん不安感や恐怖感は
倍増してくる。
人間って、つくづくおもしろいですね。
見えない対象は不安で怖いのに、
不安で怖いから、見ないようにする。
すると、どんどん不安で怖くなる。
そのことを正当化したり、
もっともな理由をつけたいので
不安や恐怖のものごとに直面しそうになると
キレたり、責めたり、被害者になって
なるべくそこから、回避しようとする。
そうすっと、
どんどん複雑になっていきますよね。
男女間でこういうこと繰り広げると
もう、大変ですよね。
複雑で大変なことするより
シンプルに生きるほうが、
よっぽど楽しいです。
よね?
そんなふうに、毎日スッキリと楽しく生きたいでしょう。
恐怖をなくそうとすると
そういう複雑なことになるので、
恐怖を消そうとか、なくそうとしないで
恐怖の実体を知ろうというアプローチの方が
良いのです。
そのためには、
恐怖や不安というものが
実体がないこと、陰であることを
知る必要がありますよね。
自分自身の感情や、感情が生じる対象を
自分自身と一体化かしていることから分けて、
その存在を認めて、じっくりみつめるです。
じっくり観察すると、対象がわかってきますからね。
根っこにあるものを
認めてみつめてあげること。
そうすっと、自分がそのものを
不安に思っていたり、
恐怖に思っていたりしていないということに
気づいてきたり
自分がつくりだした産物なんだー
ということに気づきますからね。
感情はなくそうと力まない方が良いのです。
自分と分離してみつめること、観察することから
はじめてみてください。
受容しなさい、ゆるしなさい、
なんて言いますが、
なかなかそう簡単にできることではありませんよね。
なんだか、言葉が一人歩きしている感じで
受容やゆるしって、
やれって言われても、「はあっ?」
ですが
必要性がわかると、
にゃるほどーって、やる気になりますよね。
受容やゆるしは
崇高なものでも、特別なことでもなく、
そんなことなのかなー、と思うのですがね。
自分の内面をみつめることは
顔のしみをみつめるよりも
よっぽど楽しいし、きれいになれますよ