陰のエネルギーは、内側から外側へ拡大していく力です。
身体の内側を内から観る、という意識を持つと、陰性のエネルギーが身体を拡がっていきます。
肉眼では決して見ることのできない自分自身の身体の内腔ですが、
意識が焦点を当てると、その場を感じることができるのです。
(ちょっとしたノウハウが必要です)
このとき、身体の内側の領域に、自分自身がくつろいでいるような感じがします
身体と精神の垣根が取り払われ、からだという家に、精神がきちんと座っているような。
女性は、ものごころつく頃から、誰しも自分の肉体の持つ意味について考え始めるのではないでしょうか。
胸が膨らみを持つようになり、生理がはじまり、異性の目が気になるようになる....。
否応もなく、自分が女の肉体を持っていることを認めざるをえない状況になる....。
高校生の頃、一時期引きこもりだったのですが、きっかけは男性の卑猥な目線でした。
制服の中に隠れている肉体が、なぜ男性を惹きつけるのか理解できなかったです。
親に訴えても、「おまえがいやらしい体をしているからだ」と言われ、
自分の肉体に対する奇妙なイメージが増幅されるばかり
この肉体を持っているわたしは恥ずかしいんだと、という恥ずかしさプラス罪悪感と、
ちょっとした悦びがないまぜの、ごちゃまぜの気持ちでいました。
男性の目に対する過剰な反応は、それだけ自意識が強かったということで、
それは外側から見る自分の肉体に対する意識が強かったということです。
言いかえれば、その頃のわたしは、
男性の目を通して自分自身を確かめていくことを覚えていったのです。
男性の瞳に映るわたしは、あるときはいやらしく、あるときは魅惑的で、あるときは幼い、
というようにその人に応じてイメージを変えていきます。
いろいろな男性とおつきあいしましたが、目の前にいる男性自身に出会っていたわけではなく、
彼らの瞳に映る自分自身を見ていただけだったと思います。
いつの日か、男性の目にわたしがどのように見えているか、という基準で
自分自身を判断するようになっていきました。
これは、自分自身がまだ確立しておらず、男性に依存しているということです
意識は、いつも外側から自分を観察しており、内と外との違和感が生じていました。
「どのように自分自身が見られているか」という自意識と、
「性的な存在」という肉体に対するラベルづけで、内側はぽっかりと空虚でした
身体を外側から観察するという意識と、内側から観察するという意識の違いは、
女性にとって「自分とは何者か」という存在の根拠に肉迫するような、
大きな問題になると思えるのです。
つづく...