*音楽評論家の渋谷陽一さんが、7月14日に亡くなられた。
ご冥福をお祈り申し上げます。
*渋谷 陽一(しぶや よういち、1951年6月9日 - 2025年7月14日)
日本の音楽評論家、編集者、DJ。18歳の年にグランド・ファンク・レイルロードのレコード評により音楽評論家としてスタート。
20歳の時に音楽批評誌『ロッキング・オン』を創刊。以来その編集長として活躍。同時にFM放送のDJとして聴取者の高い人気を集めてきた。2024年3月31日にロッキング・オン・グループ代表取締役社長を退任し、代表取締役会長に就任。
*僕は、『ロッキング・オン』はあまり買わなかったけれど、渋谷陽一さんのNHKのラジオ番組「サウンド・ストリート」や「ワールドロックナウ」はよく聴いてきた。渋谷陽一さんの著書も何冊か読んできた。
*渋谷陽一さんというとレッド・ツェッペリンを思い出す。レッド・ツェッペリンをこよなく愛してきた方が、渋谷陽一さんだった。
そこで、渋谷陽一さんの著書『ロック ベスト・アルバム・セレクション』(新潮文庫)からレッド・ツェッペリンのレコードを紹介しているページを抜粋してみたいと思います。
【引用開始】
レッド・ツェッペリンⅠ
レッド・ツェッペリンの衝撃のデビュー・アルバム。このアルバムに対しての衝撃という形容は決して大仰なものではない。一つの停滞期にあったイギリスのハード・ロック・シーンをツェッペリンはこの一枚によって生き返らせてしまった。ビートルズを人気投票で抜いてしまうほどの人気を獲得させたのはセカンド・アルバムであったが、一般のロック・ファンに与えた驚きはこの一枚目の方が大きかったといっていいだろう。
ジミー・ペイジ以外は全くといっていいぐらい無名のミュージシャンによって結成されたツェッペリンが、No.1のグループになったのは、この一枚目で示した全く新しいハード・ロック・スタイルの衝撃力によってである。ほとんどのハード・ロック・グループがブルースの延長戦上で自分達のサウンドを作り、リズム・ギターのフレーズ、あるいは曲の全体の調子によって総体的にハードな音作りをやっていたのに対し、ツェッペリンは非常に構成的にサウンドを作り、今までになかったハード・ロックを完成させた。
メンバーは、ジミー・ペイジ(リード・ギター)/ ロバート・プラント(ヴォーカル、ハーモニカ)/ ジョン・ボーナム(ドラムス)/ ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース、オルガン)の4人。
ジミー・ペイジはジェフ・ベックに続いてヤードバーズのリード・ギタリストとなり少しの間活動し、一枚のスタジオ録音と一枚のライヴ・アルバムを残している。
「ヤードバーズ・フィーチャリング・ジミー・ペイジ」と題されたライヴ・アルバムでは、このファースト・アルバムに収められている“幻惑されて/Dazed And Confused”を演奏している。しかしヤードバーズのメンバーにはジミー・ペイジの意図を充分に理解できず、特にキース・レルフのヴォーカルが浮いてしまい散々な出来であった。このような事があってジミー・ペイジは新たにツェッペリンを結成して、自分の音楽を演奏しようと決意したのだろう。
後期になって目立ってきた明快さを意識的に押さえて混沌とした厚みのある音は、初期のバラード調のものに強くあらわれている。ジミー・ペイジはツェッペリン結成当時、ロバート・プラントに対し「どうだ少し金をもうけようじゃないか」と誘ったそうだ。“コミュニケイション・ブレイクダウン”“グッド・タイムス・バッド・タイムス”といった曲には、そういった彼等の意図がうかがえる。ハードで押しまくるような曲作りがされているようだが、やはりジミー・ペイジの神経質とも思える音に対する配慮がよくわかる。
【引用終了】
*渋谷陽一さんの著書『ロック ベスト・アルバム・セレクション』にはもう一枚『レッド・ツェッペリンⅣ』が紹介されている。これも抜粋しておきたい。
【引用開始】
レッド・ツェッペリンⅣ
レッド・ツェッペリンは二枚目のセールス的な大成功によってビートルズを人気投票で抜くほどの人気を獲得した。彼らの徹底的にハードな音は、ハード・ロックに飢えていたファンの熱狂的な支持を得たのである。しかし彼らの音は三枚目から変化しはじめた。
一時期の明快なギターのフレーズで押しまくるサウンドではなく、アコースティック・ギターを使ったり、コーラスのハーモニーで聞かせたりするようになったのだ。明快さとハードさがうすれてきたツェッペリン・サウンドにファンは困惑した。
それが四枚目になり、より多くの変化が生じてきた。まずジャケットである。それまでのメンバーの顔と飛行船がただデザインされていたものから、老人の絵がこわれた壁にかかっている、何のクレジットも入っていない異様なものになった。明らかにジャケットに意味を持たせ始めたのである。
曲は前作よりハードなものが多く、一曲目二曲目の“ブラック・ドッグ”“ロックン・ロール”はシングル・ヒット用の曲として作られている調子のいいナンバー。
このアルバムで見せた変化はジミー・ペイジがツェッペリン結成の時に持っていた目的が達成されて、新しい方向へ彼らのサウンドが動き始めたことを示している。ファースト・アルバムの紹介にも書いたが、経済的な成功はジミー・ペイジにとって一つの目的であった。それは一枚目二枚目の圧倒的な売れ行きと、数多くのコンサートによって達成できた。外的には商業的な要請があるにせよ、ジミー・ペイジ自身の内には商売離れが起こったのだろう。三枚目ではまずサウンドの変化によってそれが示された。バッファロー・スプリングフィールドのサウンドをこよなく愛するジミー・ペイジの一面があらわれている。このアルバムになって詞の面で大きな変化が生じてきた。ロバート・プラントのヴォーカルはもともと詞を聞かせるよりは、サウンドとしての面白さを聞かせるタイプのものだ。曲のつくりかたもそんなプラントの声の質を生かしたものが多かった。しかしこのアルバムのメインである“天国への階段/Stairway To Heaven”は詞を聞かせる曲である。
丁寧に内装に手のこんだ書体で詞を印刷しているくらいだ。ロバートのヴォーカルもそういった曲の内容に則して、唱法に変化が生じている。このアルバムはこの曲のためのアルバムといっていいくらい、ツェッペリンにとって大きな意味を持った曲である。何故、自分が歌を歌いギターを弾くかを切々と歌ったものである。多分に説明的な詞だが、とてもわかり易い内容だ。ロックというのは一つの確信であり、一つの妄想に対する思いこみである事を歌っている。
【引用終了】
*渋谷陽一さんが、評論家・思想家の吉本隆明さんの著作から大きな影響を受けてきたことはあまり知られていないのでないでしょうか。
2007年に「ロッキング・オン」から『吉本隆明 自著を語る』という本が出版されています。渋谷陽一さんが、吉本隆明さんにインタビューして作られたのがこの本です。
*このインタビュー集を読むと渋谷陽一さんが、吉本隆明さんの著作を長い時間をかけて読んできたことが分かります。渋谷陽一さんが吉本隆明さんの思想を深く理解しようと努めてきたからこそ吉本隆明さんに的確な質問ができたのです。
*『吉本隆明 自著を語る』の巻末のある渋谷陽一さんの「インタビュアー あとがき」から一部を引用して、この追悼の記事を終わろうと思います。
【引用開始】
読者として吉本隆明の著作と向きあって30年以上になるが未だに多くの本は難解であり、吉本思想の十分の一も理解できていない自覚がある。しかし、僕にとって吉本隆明の影響は巨大であり、吉本隆明が居なければ自分で雑誌を創刊しなかっただろうし、今のように出版社を経営することもなかっただろう。きっと僕のような読者は多いのではないだろうか。というより、乱暴な言い方をするなら、そうした読者がほとんどではないのか。僕らは、その難解な論理を理解できなくても、吉本隆明を感じることができ、その感じたことにより人生を決定されるような影響を受けてきたのだ。その一般的な読者の視点からインタビューし、著作を振り返ることによって、読者にとっての吉本隆明をうかびあがらすことが出来るのではと考えたのである。
【引用終了】
*渋谷陽一さんのご冥福をお祈りいたします。