☆VHSの2025年問題を意識してから、毎日、VHSテープのチェックをしている。磁気テープに黴が繁殖し、再生できないものがいくつもあった。
*VHSテープの耐用年数は約20年らしい。
1984年10月17日の日テレの水曜ロードショーで森田芳光監督の『家族ゲーム』が放映された。今からなんと41年前である。
これを録画したVHSのテープが上の画像にある。
*映画『家族ゲーム』は、1983年に制作された。森田芳光監督の名を一躍有名にした作品である。
*水曜ロードショーを録画した『家族ゲーム』は、幸い再生できた。
42年経った今も『家族ゲーム』は映画としての輝きは失っていなかった。
シュールで、諧謔も効いていて現代美術にも通じるアート作品であった。
*以下は、マイブログ内の記事で「家族ゲーム」について書いています。
*民放の番組なので、しばしばCMが流れる。このCMが興味深かった。
自動車会社のCMがあった。HONDAのCMである。
ホンダのCITYとCIVICのCMが流れたのである。いやあ、懐かしい。
1984年頃、僕はマツダのファミリアに乗っていた。
*VHSに録画した民放の番組の楽しみ方のひとつが、CMである。
*僕が、森田芳光さんと知り合ったのは21歳の時だった。僕は、大学の工学部の4年。森田さんは、22歳か23歳だったと思う。森田さんは、日大芸術学部放送学科を卒業して一旦就職したようでしたが、会社を辞め映画監督になる夢の実現に向けて活動していました。当時、僕は詩の同人誌の同人として詩を発表していました。この同人誌の仲間の詩人が、森田さんの友人だった。この詩人が、森田さんに合わせてくれたのです。当時 、森田芳光さんは8ミリ映画作家として全国的に有名だった。
森田芳光さんの8ミリ映画作品を5,6本見ました。才能のある人だと思いました。
彼は、24歳の時に「ニュー・ゴダール」になりたいと僕に語りました。
*ということで、森田芳光さんが映画監督になる前の5年間くらい彼と交流がありました。
それ以後は事情があって疎遠になってしまいました。
*1983年に『家族ゲーム』が封切られると東京まで見に行きました。
その時に買ったパンフレットには「完成台本」が掲載されていました。監督はもちろん森田芳光さんですが、脚本も書いています。42年ぶりに台本を読んでみました。
☆森田芳光さんが、大好きだった
Art Ensemble of Chicago の曲を貼り付けます。


