VHSテープに録画した『家族ゲーム』を見た | フォノン通信

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2019年にヤフーブログから移行してきました。
制作した絵画、詩、読んだ本のことなど投稿していきます。

 

 

☆VHSの2025年問題を意識してから、毎日、VHSテープのチェックをしている。磁気テープに黴が繁殖し、再生できないものがいくつもあった。

 

*VHSテープの耐用年数は約20年らしい。

 

1984年10月17日の日テレの水曜ロードショーで森田芳光監督の『家族ゲーム』が放映された。今からなんと41年前である。

これを録画したVHSのテープが上の画像にある。

 

*映画『家族ゲーム』は、1983年に制作された。森田芳光監督の名を一躍有名にした作品である。

 

 

 

*水曜ロードショーを録画した『家族ゲーム』は、幸い再生できた。

 

42年経った今も『家族ゲーム』は映画としての輝きは失っていなかった。

シュールで、諧謔も効いていて現代美術にも通じるアート作品であった。

 

*以下は、マイブログ内の記事で「家族ゲーム」について書いています。

 

 

 

*民放の番組なので、しばしばCMが流れる。このCMが興味深かった。

 

自動車会社のCMがあった。HONDAのCMである。

ホンダのCITYとCIVICのCMが流れたのである。いやあ、懐かしい。

 

1984年頃、僕はマツダのファミリアに乗っていた。

 

*VHSに録画した民放の番組の楽しみ方のひとつが、CMである。

 

*僕が、森田芳光さんと知り合ったのは21歳の時だった。僕は、大学の工学部の4年。森田さんは、22歳か23歳だったと思う。森田さんは、日大芸術学部放送学科を卒業して一旦就職したようでしたが、会社を辞め映画監督になる夢の実現に向けて活動していました。当時、僕は詩の同人誌の同人として詩を発表していました。この同人誌の仲間の詩人が、森田さんの友人だった。この詩人が、森田さんに合わせてくれたのです。当時 、森田芳光さんは8ミリ映画作家として全国的に有名だった。

 

森田芳光さんの8ミリ映画作品を5,6本見ました。才能のある人だと思いました。

 

彼は、24歳の時に「ニュー・ゴダール」になりたいと僕に語りました。

 

*ということで、森田芳光さんが映画監督になる前の5年間くらい彼と交流がありました。

 

それ以後は事情があって疎遠になってしまいました。

 

*1983年に『家族ゲーム』が封切られると東京まで見に行きました。

 

その時に買ったパンフレットには「完成台本」が掲載されていました。監督はもちろん森田芳光さんですが、脚本も書いています。42年ぶりに台本を読んでみました。

 

☆森田芳光さんが、大好きだった

Art Ensemble of Chicago の曲を貼り付けます。