詩人 天沢退二郎 | フォノン通信

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★今日は、詩人・天沢退二郎さんの紹介をし、僕の好きな詩を掲載します。

 

★天沢退二郎さんは、渡辺武信さんといっしょに東大に在学中に詩誌『赤門詩人』を創刊した人です。

 

*天沢退二郎さんのプロフィール Wikipediaから引用します。

天沢 退二郎(あまざわ たいじろう、1936年7月31日[1] - 2023年1月25日)は、日本の詩人・仏文学者・児童文学作家・翻訳家。宮沢賢治研究者。

 

東京大学文学部仏文科卒業。明治学院大学文学部フランス文学科教授を経て、同大名誉教授。息子に童夢のレースエンジニア・天澤天二郎

 

     年譜

1936年 東京に生まれる

1939年 満州に渡り、新京特別市(長春)に住む

1946年 新潟県新発田市へ引き揚げ

1949年 宮澤賢治に影響を受け試作を始める

1956年 東京大学入学

1957年 詩集『道道』

1961年 詩集『朝の河』

1963年 詩集『夜中から朝まで』

1964年 秋より15ヶ月余パリに住む(パリ大学留学)

1966年 詩集『時間錯誤』

1967年 東大大学院満期退学・明治学院大学講師(後に教授)

1968年 評論『宮澤賢治の彼方へ』

1977年 - 詩集『Les Invisibles 目に見えぬものたち』により第15回藤村記念歴程賞受賞。

1985年 - 詩集『《地獄》にて』により第15回高見順賞受賞。

1985年 - 銀河鉄道の夜のアニメーション化に協力。

1987年 - 『《宮沢賢治》鑑』により第2回岩手日報文学賞賢治賞受賞。

1992年 - 『フランス中世文学集1〜3』が第28回日本翻訳出版文化賞受賞。

1996年 - 『イーハトーブ幻想〜KENjIの春』を監修。作品は第23回放送文化基金賞受賞。

2001年 - それまでの宮沢賢治研究の業績により第11回宮沢賢治賞受賞。

2002年 - 詩集『幽明偶輪歌』により第53回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。紫綬褒章受章。

2003年 - 山之口貘賞選考委員

2005年 - 明治学院大学定年退職、名誉教授、帝京平成大学教授

2006年 - 帝京平成大学退職

2010年 - 瑞宝中綬章受章

2023年1月25日19時35分 - 急性呼吸不全のため、千葉市稲毛区の病院で死去。

86歳没。

 

以上、Wikipediaを参考にまとめました。

 

*奇しくも今年9月8日に亡くなられた詩人・渡辺武信さんと同じ年齢で天沢退二郎さんは亡くなっています。享年86

 

★天沢退二郎さんは、13歳の時(1949年)に宮澤賢治の作品に影響を受け詩作を始めました。

 

★天沢退二郎さんの処女詩集である『道道』の中から僕の好きな詩を紹介します。

 

 

   ぼくの春

 

青ざめた泥濘はインクの襞のかなしさ

遠い空のへりではかすかに

高くハモンドオルガンが鳴る

傾いた日ざしはさびれた村道をてらし

右から左から波のように逼ってくる林の散兵隊

そのずっと向こうの

褐色に落ちた高杉のこずえの方で

ほら あのようにハモンドオルガンが鳴る

 

空はまだ破れたゴム毬のように青い ひるすぎの

この鎮んだ光の風景を

黒びかりする二つの輪軸を操りながら

斜めに斜めにめぐって行くもの

ほのかにかぎろう麦畑のこっちで

あるいはへんにあかるい松林のはずれで

進んでくるその黒いぼくをみるぼく

 

  (遠く湧きあがる調べは

   葬送マーチよりも青い春の電車だ)

 

 

*天沢退二郎さんは3歳の時に満州に渡り、10歳まで長春に住んでいます。

 その時の記憶をもとにこの詩を書いたのではないでしょうか。

 あくまでも僕の推測です。

 

*詩集『道道』からもう一つ詩を選びました。

 

 

  渇いた道

  六月

 

こんなに雲が息苦しいのは

草地の径が 重いくらいに

ぼくの胸に押しこまれているせいだ

遠くの 寒々とした建物の慕わしさ

ぼくは入り乱れる支流を探りながら

しんと涸川のような街道に出る

けれども ポプラに風も吹かず

たちならぶ二階家は棄てられた楽器のようだ

誰かぼくを見る者はいないのか

木立のおくの十字路さえ墓地の静寂

ヒバリもとばない すさんだひるま

―こんなに誰もいないのも

 やはり僕の風景だからなのだ

 

くもり空が苦しく記憶を揺する

そして道標はいつも青くさびている

 

 

 

*1957年の処女詩集『道道』は、天沢退二郎さんが21歳のときの作品集です。

 

1957年 天沢退二郎さんは東大2年生です。翌年1958年に渡辺武信さんたちと詩誌『赤門詩人』を創刊している。

 

僕がここに掲載したに作品は、十代の時の作品ではないかと思います。

若き天沢退二郎さんの詩には新鮮な風が吹いているようです。