大江健三郎著『新しい人よ眼ざめよ』を読んで | フォノン通信

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制作した絵画、詩、読んだ本のことなど投稿していきます。

 

★僕が大江健三郎の小説の熱心な読者であったのは、16歳から20歳頃までだった。

学年でいうと高校1年から大学2年頃までに当たる。

 

★ここ数年、大江健三郎の小説を数冊読んできたが、新しく買った小説はない。

いずれも長い間手に取ることもなく書棚に置かれたままの本ばかりである。

 

★先日、『新しい人よ眼ざめよ』を読み終えた。

『新しい人よ眼ざめよ』は、連作短編集で七つの短編で構成されている。

 

★七つの短編は、小説であるが私小説と言っていいような内容になっている。

 

大江健三郎さんの長男は、今では作曲家として知られている光さんですが、光さんは生れたとき脳に重い障害がありました。

 

障害を抱えながら成長していく長男・光さんとの魂の交流が、大江健三郎のいくつかの小説の核になり、エネルギーの源にもなりました。

 

光さんを巡る苦悩や葛藤、そして光さんへの愛情が、物語の主題となっている作品には

『個人的な体験』(1964年、29歳)、『ピンチランナー調書』(1976年、41歳)、

『新しい人よ眼ざめよ』(1983年、48歳)がある。

 

★『新しい人よ眼ざめよ』の七つの短編は、主人公の息子のイーヨー(光さん)がテーマになっている。そして、主人公のこころの支えになってきたウィリアム・ブレイクの詩も第二のテーマになっている。

注:小説の中では「イーヨー」という綽名を使っていますが、実生活では光さんはプーさんと呼ばれているようです。大江健三郎の著書『あいまいな日本の私』という岩波新書の中に書かれていました。

 

 

ウィリアム・ブレイクの詩が主人公(大江健三郎)にどのような影響を与えたのか。またどのように心の支えになり、小説を書く原動力になったのか。

 

主人公と息子の光さん(小説では光さんの綽名のイーヨー)を巡る魂の旅。その魂の旅とウィリアム・ブレイクの詩がイメージの中で重なり合う。

 

★僕には画家であり詩人でもあったウィリアム・ブレイクについての知識はほとんどなかった。ウィリアム・ブレイクが描いた絵は図版で見たことがあったという程度の情報しか持っていなかった。

 

大江健三郎は、若い時から詩に興味を持ち、詩にインスパイアされて小説を書くことも

あった。

 

大江健三郎は、イェーツ、W・H・オーデン、ウィリアム・ブレイクなどの詩について言及することが多かったと思う。

 

1969年に出した中・短編集『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』の第三部のタイトルは「オーデンとブレイクの詩を核とする二つの中編」となっています。

 

★さて『新しい人よ眼ざめよ』は、再読したくなるような良い小説です。

 

しかし、ウィリアム・ブレイクの詩について記述している箇所は、ウィリアム・ブレイクの詩についての知識が皆無の僕には難しく、ほとんど理解できませんでした。

 

それでも小説全体からはじわっと温かいものがやってきて、僕の心に安らぎを与えてくれました。

 

なお、「新しい人よ眼ざめよ」は、大佛次郎賞を受賞しています。

 

★大江光さんには発達障害があったようです。小・中学校では特殊学級に通い、その後は高等養護学校に通われたようです。

 

大江光さんは1963年生まれ。現在、61歳になっています。

 

★光さんには特別な才能がある。幼児のとき(五歳、六歳の頃)に発揮した音を聞き分ける能力。

LPレコードで聴いた何十種類もの野鳥のさえずり覚え、その音声を聴いただけで野鳥の名前を言うことができたといいます。

 

成長するにつれてクラシック音楽に興味を持ち、和音を聞き分けたり、楽器で和音を奏でたりできるようになったといいます。

 

最終的には作曲ができるまでに音楽の才能を開花させました。

 

大江光さんの音楽は、何枚かのCDになっています。音楽のジャンルとしては、クラシックになります。

 

僕は、大江光さんのCDを2枚持っています。どちらも僕の愛聴盤になっています。

 

★小説の中で太字で書かれているイーヨー(光さん)の言葉が、人柄を表していて惹きつけられます。

 

*一番目の短編「無垢の歌、経験の歌」の中からイーヨーの言葉を引用してみます。イーヨーの父(大江健三郎さん)が通風になり足の痛みに苦しんだことから、光さん(イーヨーさん)の発した言葉が

 

足、大丈夫か?善い足、善い足!足、大丈夫か?通風、大丈夫か? 善い足、善い足!

 

これが、光さんが理解した「足の定義」だったようです。

 

*次は眠っている時に見る「夢」とは何なのか。光さんが、その夢のことを理解しているか家族には分からなかったときがあったようです。

 

第四の短編『蚤の幽霊』(注:”蚤の幽霊”は、ウィリアム・ブレイクの絵のタイトル)の中に夢についてのこんな会話があります。

 

 イーヨー、きみが夢を見ないというのは本当かい?夜眠って、朝起きるね、その間に、音楽会に行ってピアノを聴いているというような、そういうふうだったことはない?きみは寝ているんだよ、そうだけども、妹と遊んだり、弟と話したり、そういうことをしたと、朝覚えていることはない?

さて、これに答えて光さんはこう言います。

 

あーっ、それは難しいです、僕は忘れてしましました。

 

さらに、光さんに問いかけます。

―そんなことがあったけど、忘れたの?それとも、そんなことなかったから、覚えていないの?(中略)眠っている間になにか音楽を聴いているような気がして、演奏家の姿が見えるとかさ、そういうことはない?イーヨー、それが夢を見る、ということなんだけど。

 

この問いかけに光さんはこう答えます。

 

―音楽ですか?えーと、モツアルトには「夢の像」という歌曲がございます。K553ですけど、あーっ、残念なことに、僕は聴いたことがありません。失礼いたしました。

 

このあと小説はこう続きます。

 

 こういう問答は、確かにみのりのなかったものにすぎぬが、それでも夢をめぐる話に息子が機嫌よく参加した例である。

 

★第一の短編『無垢の歌、経験の歌』の中にある一文を引用して、僕の感想文の最後としたいと思います。

 

【引用開始】

僕の死後、決して息子が生の道に踏み迷うことのない、完備した、世界、社会、人間への手引きを、それもかれがよく理解しうる言葉で、実際に書きうるものかどうか ー むしろそれは不可能だと、すでに思い知らされているようなものであるが、それでもなんとか自分として、息子への定義集を書くべくつとめることはしよう。

【引用終了】

 

*息子への「定義集」が、小説『新しい人よ眼ざめよ』だったと言っていいでしょう。

 

◇ここまでお読みいただきありがとうございました。