鼎談『日本の歪み』を読んで(1) | フォノン通信

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『日本の歪み』

養老孟子×茂木健一郎×東浩紀

(講談社現代新書)を読んだ

 

養老孟司、茂木健一郎、東浩紀の三氏による鼎談を読んで、特に重要な発言であると思ったところを抜粋していきます。

(なお、本書が出版されたのは2023年9月)

 

☆東浩紀氏の発言が腑に落ちることが多かったので、東浩紀氏の発言を掲載することが多くなります。

 

「日本の変化」という節からの引用。

 

茂木:僕はどちらかといえば自分はリベラルだと思っていたのですが、この数年で社会との関係性の受け止め方がすごく変わった気がしています。

 

安保法案の頃は、護憲とか改憲とかについてリアリティがあったのが、いまはほぼなくなりました。

 

僕は、このような経験から、最近は「右」でも「左」でもなく、「インテリジェンス」という言い方をするようになりました。

 

ここで言うインテリジェンスは、「知性」という意味でもあるし、情報を収集して判断するいわゆる「諜報」という意味もあります。東さんはそういう心境の変化はありますか。

 

東:僕もここ20,30年の日本の空気の変化には戸惑います。天皇制にしても、平成期は日本人の天皇に対する感覚が大きく変わった時期で、多くの人が天皇や皇室に親近感をもつようになりました。

 

僕が高校生だった1980年代あたりは、天皇制反対と言ってはばからない左翼系知識人はたくさんいました。

 

いまは誰もそんなことは言いません。

 

むしろ安倍政権期に入ってからは、天皇のほうが政権よりも「リベラル」で、左派は天皇に頼るべきという言説すら出てきた。

 

内田樹さんなんかは「天皇主義者」と自身を評しています。

 

 加えて、昔は右派といえば保守でナショナリズムを大切にし、左派のほうがグローバリズムだったのが、いまは右派こそが新自由主義でグローバリズムを謳い、左派のほうが国民国家の利害を大切にしろと訴えるようになっている。そういう歪みもあります。

 

★「リベラル」、「右派」、「左派」を巡る茂木健一郎氏と東浩紀氏の発言を抜粋しました。

 

 

おそらく30年以上前だったら、「右派」、「左派」や「右翼」、「左翼」の違いははっきりしていたのだと思います。

 

世代のよって、「右派」、「左派」という語のイメージや語義は異なっているのではないでしょうか。

 

東浩紀氏が指摘している「右派」と「左派」の語義の変化は、理解しておきたいと思った。

 

★ここで「リベラル」という語について、語義を確認しておきたいと思います。

ウィキペディアから引用します。

 

リベラル(英: liberal)とは、「自由な」「自由主義の」「自由主義者」などを意味する英語で、政治思想の分野では主に以下の2つの意味で使用されている。

 政治的に穏健な革新をめざす立場。

 

 1930年代以降のアメリカ合衆国から広がった用法で、社会的公正や多様性を重視する自由主義。

 

★以上の語義から見ると「私はリベラルだ」といった場合、2通りの受け取り方が考えられる。

①自分は、自由主義者である。

②自分は、政治的には穏健な革新をめざす立場である。

 

*今回はここまでです。

続きを書いていきたいと思います。