高野史緒著『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』を読んで | フォノン通信

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★高野史緒著

『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』を読んだ。

 

あらすじや感想を書いてまとめておこうと思います。

 

★ごく簡単にいうとこんな話である。

 

17歳の高校生の夏紀と17歳の大学生の登志夫は、それぞれ並行世界に暮らしている。

かつて二人が幼稚園児だったときに同じ場所で飛行船の“グラーフ・ツェッペリン”を見たという共通の記憶がある。

この二人が十数年を経て17歳のときに再会し、再び同じ場所でグラーフ・ツェッペリンを見るという物語である。

 

★この作品『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』という作品で初めて高野史緒という女性の作家を知った。

 

 

高野史緒さんは、2012年に江戸川乱歩賞を受賞している推理作家でもあります。

 

ベストSF2023で第1位になった作品ということで興味を持ち、読んでみたのである。

 

★この作品の評価は、☆三つの佳作でした。ブログに掲載するということで、一部再読しました。

 

*これからあらすじに触れていくことになるのでネタバレに注意してください。

 

★タイムスリップ、並行世界、多元宇宙、量子コンピュータ、メタバース、多世界解釈などがこの小説の道具立てになっている。

 

*この辺からあらすじに触れていきます。

 

★2021年、17歳の藤沢夏紀は土浦第二高等学校の生徒。夏紀のいる世界を仮に世界Aということにする。

 

世界Aではインターネットが実用化されたばかりであり、携帯電話もそれほど普及していない。もちろんスマホはない。

 

しかし、宇宙開発は発展していて、月と火星に基地がある。21世紀になっているのにソ連邦が存在している。

 

★2021年、17歳の北田登志夫は東京大学の2年生である。

 

小中学生のときに飛び級してきたので17歳でも大学2年である。

 

東大の教養部に所属していて3年次からは工学部に進みたいと考えている。

 

登志夫がいる世界を仮に世界Bと呼ぶことにする。世界Bは、私たちがいる現実の世界とほぼ同じ設定になっていると考えていい。

 

★夏紀と登志夫には共通の記憶がある。

二人が幼稚園児のときに土浦の亀城公園で飛行船“グラーフ・ツェッペリン”を一緒に見たという記憶である。

 

そのときに話を交わし、二人はお互いの名前を知ったのである。このときから、二人はいつかまた出会いたいと強く願うようになっていった。

 

*ここで僕の疑問。

幼稚園児の時に二人が世界Aと世界Bの別々の世界にいたとしたら、二人が同時刻に同じ場所にいて会話をするということが可能だったのか。小説にはこの説明はない。

 

ここは読者の解釈にお任せしますということなのでしょう。

 

★1929年(昭和4年)世界Aにおいては、シベリアを越えて日本にやって来た飛行船“グラーフ・ツェッペリン”は土浦上空で事故を起こし、爆発炎上してしまうのである。

 

しかし、世界Bでは飛行船“グラーフ・ツェッペリン”は無事に土浦を通過してアメリカへ向けて飛行を続けたのである。

 

*世界Aと世界Bが干渉しあわないと夏紀と登志夫は出会えない。

 

どのようにして二人は出会うのだろうか。

先に言ってしまうと、二人は二つの別々の体を持った人間としては出会えないのである。

夏紀の体の中に登志夫の意識が合体した状態になり、二人は会話を交わすのである。

 

*ここは作家として、二人をどのように出会わせるのか思案したのではないでしょうか。

 

世界Aと世界Bは、並行世界ですからお互い世界の交流(干渉)は理論上起こり得ないとされています。

それなのに堂々と二人が出会ってしまうと整合性がなくなってしまいます。

 

そこで考えたが夏紀の意識と登志夫の意識の重ね合わせという発想です。

 

筆者は量子力学における波動関数の重ね合わせという概念を応用したのかもしれません。

夏紀の脳内で二人は出会うことになります。

 

*では夏紀の脳内で二人の意識が出会うまでの経緯はどう描かれているのか。僕なりのまとめ方で記述してみます。

 

★夏紀は高校のパソコン部に入っている。

ある日、部室にあるパソコンでまだ慣れていないe-mailの送信の練習をしていた。

 

送信先を自身宛にして送信する練習をしていたのであるが、メールの本文に登志夫に宛てた短い文章を打ち込んで送信練習をしているうちに、ありえないことに登志夫から返信が来たのである。

この時の返信のメールは、初めからなかったかのようにすぐに消えてしまうのである。

 

★登志夫は、夏休みのバイトで土浦に来ていた。土浦にある光量子コンピュータ・センターで雑用を手伝うためだった。

 

その頃、世界中の研究所、観測所、実験施設などで原因不明の不具合が起こっていた。

光量子コンピュータ・センターにある2台の光量子コンピュータに不具合が起こり、正しく動作しなくなった。

 

★故障した光量子コンピュータが出力した、ノイズを含んだデータをプリントアウトしたものを手に入れた登志夫は、ほかの研究員が考えもしなかった方法でそのデータを図形化することに成功したのである。

 

そのノイズを含んだデータを平面にドット絵として描き出してみたのである。つまりAA(アスキーアート)を作る手法で画像化したわけである。

 

するとそこに少女の顔が現れたのである。この十代と思われる少女の顔の画像を見て、登志夫はそれが夏紀の顔だと直感するのである。

 

なぜ光量子コンピュータが、少女の顔の画像データを出力したのか全くの謎であるが、そこはSF小説だからこういう飛躍はよくある。

 

このような画像がなぜノイズとして出力したのか。

光量子コンピュータをハッキングして、少女の顔の画像を送り付けてきたのかもしれないと推測する研究員もいる。

 

その顔の画像がメタバースで使われているアバターではないかと指摘する者がいて、登志夫がVR用のゴーグルを着けメタバースに入っていき、その少女の顔のアバターを探すことになった。

 

その少女のアバターを見つけたらノイズを送り込んだ犯人にたどり着けるかもしれないと考える研究員もいた。

 

★メタバースに入っていき夏紀と思われる少女のアバターを探している登志夫。

登志夫はいま仮想現実のなかにいる。

 

一方、夏紀は家にいて、ワープロ専用機でまだ会えない登志夫に宛てた文章を打ち込んでいる。

 

するとこの時、夏紀と登志夫の意識がシンクロするのである。

夏紀のからだの中に登志夫の意識が入り込み、夏紀の目を通して夏紀の部屋にあるものを観察することができる。

 

それぞれが並行世界にいるからだろうか、二つの個体として、二人の人間をしては出会えないのである。

 

しばらくの間、夏紀と夏紀の体の中に入った登志夫は内的な会話を交わしながら過ごすことができたのである。

 

★二人の内的な会話を通してお互いの世界について情報を交換して、二人のいる世界が似ているけれど違いも多いことがわかる。

 

登志夫は、夏紀に世界Aの歴史年表を見せてもらったところ、1929年までは世界Aと世界Bの歴史に違いは見られないがグラーフ・ツェッペリンが日本に飛来した1929年ころからの

歴史に違いが見られることが判明したのである。

 

1929年にグラーフ・ツェッペリン号が土浦で落ちた世界と落ちなかった世界とに世界が分岐したと登志夫は考えた。

 

★ここまでは二人は別々の体を持った個体として再会していないのであるが、物語のクライマックスでは二人は別々の人間として出会えるのである。

 

17歳の二人が土浦の亀城公園で再びグラーフ・ツェッペリン号が飛来するところを見るのである。

 

僕にはこの場面は仮想現実の世界ではないかと思えるのである。

 

少なくともこの物語の中ではグラーフ・ツェッペリン号は、1929年と夏紀と登志夫が幼稚園児のとき、そして二人が17歳のときの三度も土浦に飛来している。

 

この現象をどう解釈したらよいのでしょうか。物語は説明をしていません。グラーフ・ツェッペリン号のゴーストが二度も現れたわけではないでしょう。

 

タイムスリップが局所的に起こったと解釈すればいいのかもしれませんね。

SF的にはこの説明ならなんとか頷けます。

 

過去から未来にタイムスリップしたのか、逆に未来から過去にタイムスリップしたのか。

 

小説は説明していません。読者が勝手に解釈せよということでしょうか。

 

★物語の最後の方で、世界Aの藤沢夏紀は世界Bでは北田登志夫かもしれないということに登志夫が気づきます。

 

その根拠。二人の生年月日が同じことと、夏紀の母親の苗字の藤沢を北田に替えると登志夫の母親の氏名になり、父親の氏名でも苗字を入れ替えると互いの父親の氏名になるのです。

 

★ここまで藤沢夏紀が持つ特殊能力ついて重要な事柄を書きませんでした。

 

夏紀は「ある種の電磁気的変異を引き起こす能力」を持っているのである。

例えば、学校の電気設備に影響を与え停電させたり、駅にある自動改札機を故障させたりできるのである。

 

見方を変えると「電子の動き」をコントロールする能力を持っていることになります。ここがポイントになります。

 

★二人が17歳の夏、グラーフ・ツェッペリン号が飛来する時間(1929年)にタイムスリップした夏紀は、土浦において静電気による爆発炎上事故が起こらないように、電子の動きをコントロールして事故を未然に防ぎます。

 

物理学の多世界解釈が正しければ、これ以降は世界の分裂は起こらないことになります。

 

(注:小説には1929年にタイムスリップしたというような記述はありませんので、ここは僕の推測による説明になっています)

 

もしもこれが本当ならば、世界Aはできず、世界は世界Bだけになり、藤沢夏紀は生れないことになります。

 

◇筆者のねらいはどこにあったのでしょうか。

本当に世界Aは消滅してしまったのでしょうか。

 

物語の最後の「エピローグ」の記述からは、夏紀のいた世界Aは消滅したとしか読み取れません。

 

*量子力学の多世界解釈によれば、夏紀が世界の分岐を止めたときにも世界は新たな分岐を起こし世界Cも世界D、・・・も生じていてその世界では夏紀は生きているかもしれません。

 

筆者・高野史緒さんにここは尋ねてみたいものです。

 

*読者にいろいろと謎を与えて、考えさせてくれたという意味ではとてもいい作品だったといえるでしょう。

 

♪この小説は、SF好きな中高生が読むのに適した作品ではないでしょうか。

 

*つい長々と書いてしまいました。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。