寺島実郎著『ダビデの星を見つめて』を読んで(9) | フォノン通信

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第三章 欧州のユダヤ人

前回に続いて第三章から特に興味深いところをまとめていきます。


ロスチャイルド家の家祖マイアーと五人の息子の活躍の詳細については省略します。


今回は、ロスチャイルド家と日本とのつながりについて寺島実郎氏が記述しているところをまとめたいと思います

日露戦争の戦費を支える・・・幕末からの日本との関係

【引用開始】
ロスチャイルド家と日本のつながりで言うと、その姿が見え始めるのは江戸時代の末期からである。

 

ジャーディン・マセソン商会と言うと、東インド会社の流れを汲んで、1832年に中国の広州で設立された歴史を持つ貿易会社だが、ほどなくイギリスのロスチャイルドと契約を結び、東アジアにおける情報収集先としての性格を帯びるようになる。


ジャーディン・マセソン商会は1840年からアヘン戦争で暗躍し、1842年の南京条約で清から大英帝国に割譲された香港島に拠点を移し、徐々に中国各地に事務所を開設し、勢力を拡大していく。
【引用終了】

★このジャーディン・マセソン商会の代理店として1859年に長崎に設立されたのがグラバー商会です。

 

グラバー商会は幕末・維新史に大きな役割を演じました。
さらに引用を続けたいと思います。

【引用開始】
ペリー来航(1853年)によって開国を迫られた江戸幕府は、翌年に日米和親条約を調印。

 

1858年には日米修好通商条約に続いて、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも修好通商条約を結ぶ。


こうした動きと並走して、ジャーディン・マセソン商会は、1860年には横浜支店を設立。

 

1863年3月には長州藩士五人が密航船に乗りイギリスへと渡ってロンドン大学で学んだが、留学を支援したのはこの横浜支店だった。

 

のちに「長州ファイブ」として知られる伊藤博文、井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、井上勝である。


一方、1859年にはジャーディン・マセソン商会の長崎代理店としてグラバー商会が設立され、幕府側、倒幕側の双方に接点を拡大し、武器を販売したとされる。


こうした動きは当然、ロスチャイルド家に伝わったと思われる。世界的にめぐらした情報収集網が、幕末の日本にまで及んでいたのである。
【引用終了】

★激動の幕末から維新にかけて、背後ではロスチャイルド家が関与していたということになる。

 

討幕側はイギリスが支援を、幕府側はフランスが支援していたことはよく知られている史実である。
さらに引用を続けよう。

【引用開始】
日本とロスチャイルド家の関りで忘れてならないのが日露戦争である。

 

1904年、朝鮮半島から中国東北部で日本はロシアとの勢力争いを繰り返していたが、本格的な戦争になったときの軍事費をまかなうため、当時日銀副総裁だった高橋是清をイギリスとフランスに派遣した。

 

高橋の説得もあり、ロンドンのロスチャイルド銀行は、最初は表立って公債発行を行わない代わりに、戦費の下支えを行うなどし、戦局がはっきりしたあとは公債発行を行い、日本の勝利を支えた。


また、1923年の関東大震災直後、新橋と横浜間の鉄道復旧のためにロスチャイルド家の支援があった。


第二次世界大戦後の復興時にも、日本開発銀行の起債をロスチャイルド家が引き受けるなどの助力をしたのは有名な話である。
【引用終了】

★以上の事情は、高校生が使う日本史や世界史の教科書には記述していないと思う。おおいに参考になった。
さらに引用を続ける。

【引用開始】
ユダヤ人は記憶の民である。(中略)冒頭でも触れたが、私が初めてイスラエルを訪れたとき、1973年の石油危機以降、日本がイスラエルを切り捨てる政策をとっていたことを誰もが知っていて、一緒にコーヒーを飲みながら話題を転換するのに苦労したものである。

 

相づちを打っていると「まともな日本人なら、あの日露戦争のとき、ロスチャイルドの一族がいかに日本を支援したのか、知っているはずだ」などと、今の日本があるのはユダヤのおかげだと言わんばかりに指摘されるのである。
【引用終了】

★日本人は歴史の大きな転換点を忘れるのが早い民族かもしれない。


例えば幕末から明治維新への転換点、満州事変から太平洋戦争の敗戦までの転換点。

あともう少し引用して、要点まとめの第九回を終わろうと思う。

【引用開始】
私は三井物産という総合商社に勤めていた人間だが、三井物産が1876年(明治9年)に、27歳だった初代社長の益田孝によって設立されたころ、日本の外国貿易の九割以上は「外商」と言われた外国の貿易商社によって仕切られていた。


とりわけ大きな存在が先述のジャーディン・マセソン商会であり、「日本人の手に貿易チャンネルを取り戻す」というのが、三井物産設立の目的でもあった。


香港にベースを置いたジャーディン・マセソン商会は、幕末から明治期を通じて、日本と海外を結ぶ接点としてきわめて思い存在であり、日本の総合商社のロールモデルでもあった。
【引用終了】

★ロスチャイルド家やジャーディン・マセソン商会が、日本に軍事費の支援や復興時の支援などで日本との結びつきが強化する。

 

そうすれば、その後の日本との貿易で大きな利益が得られる。

 

そうしたしたたかな計算があったからこそ援助の手を差し伸べたのではないでしょうか。

◇今回はここまでです。次回のまとめをするか未定です。
 ここまでお読みいただきありがとうございました。