★寺島実郎著『ダビデの星を見つめて』から重要と思われるところを抜粋しています。
今回が8回目になります。
第3章 欧州のユダヤ人
第2章の後半は飛ばすことにしました。
第3章に入っていきます。
【引用開始】
ローマ帝国によってキリスト教を基盤とする社会となっていたヨーロッパ各地に「離散」し、「キリスト殺しのユダヤ」として差別され、抑圧されたユダヤ人たちが、ただ悲劇の受難者として生き延びていたのではない。
自らの努力で基盤を作り、ネットワークを通じて主体的にヨーロッパ社会に関与し、前章の「アメリカとユダヤ」でオランダにおけるユダヤ・ネットワークがアメリカ史に与えたインパクトを論じたごとく、ユダヤ人たちが生じさせた化学反応がヨーロッパの近代に大きなインパクトを与えたことに気づかざるをえない。
【引用終了】
☆ここからロスチャイルド家について考察しているページから抜粋していきます。
【引用開始】
ユダヤ人とヨーロッパ、そして今日の世界経済との結びつきを考えるにあたって避けて通れないのが、ロスチャイルド家の存在である。
フランクフルトに生まれた家祖とその五人の息子がヨーロッパの主要都市に散らばり、頭角を現し始めてから、すでに250年以上がたつ。
その間、さまざまな伝説に彩られただけでなく、現在でも巨額の資金を持つ国際的金融資本家として挙げられ、世界経済に与える影響力は大きいとされる。
あまりに世間から注目を浴びることから、派手な活動を意識的に避ける傾向があり、その全貌は謎に包まれている。
【引用終了】
☆ユダヤ陰謀説の格好の標的となってきたのがロスチャイルド家であるが、ロスチャイルド家がどのようにして巨額の資金を持つようになってきたのか調べたこともなかった。
寺島実郎はうまくまとめてくれている。引用を続ける。
【引用開始】
ロスチャイルドは‘Rothschild’の英語読みで、ドイツ語読みではロートシルト。
ロートは赤い、シルトは看板、標識といった意味である。
(中略)
現在のロスチャイルドの家祖となる人物は、マイヤー・アムシェル・ロートシルトである。
1744年に生まれ、1812年に亡くなっているが、注意したいのは、この期間はイギリスで産業革命が始まり、その影響がヨーロッパに広がりつつある時期で、産業をリードする新興のブルジョワ階級(産業資本家)の台頭により、重商主義を背景にした絶対王政が崩れていく時代であったことである。
(中略)
なぜユダヤ人が「離散」しながらヨーロッパで経済的成功を収めていったのか。
それはユダヤ教の教えの中心にあるモーゼ五書、とくに『申命記』において、利息をとって金を貸す仕事と富を得ることの正当性が認められ、それを実践しているからなのである。
【引用終了】
☆ロスチャイルド家の家祖のマイヤーが生きていたころに起こった欧米の情勢をまとめておく。
オーストリア継承戦争(1740~1748)
七年戦争(1756~1763)
アメリカの独立(1776)
フランス革命(1789~1799)
ナポレオン戦争(1799~1815)
【引用開始】
ロスチャイルド家の家祖(マイヤーはフランクフルトのユダヤ人ゲットーの小商人の息子として生まれた。
子どもの中でも一番頭がよいからと、ラビ(ユダヤ教の宗教者)になるため、ニュルンベルク近くの学院に入れられたが、両親の死去により、ハノーバーのユダヤ系金融業者のもとで奉公することになり、20歳のときに独立。
二人の兄弟が古物商を営んでいたフランクフルトへ戻り、両替商を始め、同時に新たな商売に着手した。
力を入れたのは古銭やメダルの売買である。販売する古銭やメダルに蘊蓄を傾けた解説をつけカタログをつくり、今で言う通信販売を始めたのである。
(中略))
やがて、フランクフルトのあるヘッセンの領主ヘッセン=ハナウ家の皇太子ヴィルヘルムとつながりができる。
(中略)
マイヤーが26歳のときには、宮廷支配人の肩書きを得て、ヘッセン宮廷に出入りできるようになっただけでなく、ほかの宮廷ともつながりを持てるようになった。
1770年、マイヤーはユダヤ人街の商店主の娘と結婚。21年間に五男五女の子どもに恵まれた。
【引用終了】
☆マイヤーの5人の息子が、それぞれヨーロッパの主要都市に散らばり経済活動で成功していく。
そして五兄弟のネットワークが、ロスチャイルド家の資産を増やしていくことになる。
☆今回は、ここまでにします。お読みいただきありがとうございました。
★よいお年をお迎えください。