え?ほんま?うれしい!
てなことが今朝あった
きのう夫が出演した音楽会
一番左上の写真が夫たちのユニットバンド「S・M・H」
姫路駅前広場は日陰なのでメチャ寒かったらしい
で出演後のあと片付けをしてる時に、ファンの方が舞台に上がって来て喝采してくださったそうで、最後に
「奥さん今日は出ないん?奥さんのファンやねん」
と言ってくださったと
メチャうれしい!
夫のバンドグループでたまに参加して地域のオリジナルソングを歌うくらいなのに覚えてくださっていたとは
歌手冥利に尽きるなぁ
って歌手じゃないしハハハ
いや歌の歌詞と曲が地元の人に親しまれているんよね
「桜月夜」
ええ歌なんよ
でもコロナで何年も歌ってないから、もう声が出ない
若い人が代わりに歌ってくれないかな?
風化させないために
風化させないと言えば
フィギュアスケーター羽生結弦もXに投稿していた
https://x.com/YUZURUofficial_/status/1747460602845622533?s=20
羽生結弦は1994年12月生まれ、阪神淡路大震災の1ヶ月前に生まれた
実は夫の姪っ子も1994年3月に生まれて、生後10か月目に東灘区で震災にあった
隣のビルが傾いて二階の屋根に直撃し屋根に穴があいた
幸いにも一階で寝ていたので怪我もなく逃げ出し、御影の避難所で数日過ごした
その後、高砂のウチに来て3月に1歳の誕生日をした
私たち夫婦も東灘区の妹の家に洗濯機やその他家電を取りに行った
怖かった
まだガス臭かったのだ
二階の穴のあいた屋根から見た青空は今でも覚えている
幼子を守って恐怖に耐えた妹の気持ちを考えるとつらい
よく頑張ったと思う
妹の夫は避難先でも情報が入らなくて、北朝鮮がミサイルでも飛ばしてきたのかと思っていたと言っていた
そして御影に新居を探して乳児との生活基盤を素早く整えて妹たちを3月中には迎えに来たと記憶している
鳥取のいとこが野菜をもって見舞いに来てくれたり、高砂市民も市民会館に集い、おにぎりを作ったりした
あれから29年
能登半島の地震でも今、妹たちと同じ思いで耐えている方たちがいる
羽生結弦とともに私も祈ろう