夫の弟妹と一緒に5人で迎えた元旦
いつも通りお屠蘇飲んで、おせち料理食べて、氏神様へ歩いて初詣し、お昼はぜんざい食べて、晩ごはんは弟のおごりでスーパーマーケットでそれぞれ好きなお惣菜を買い、4時頃帰宅し、みんなで楽しみにしていたTV番組「格付けチェック」まで1時間あるので皆でのんびりとテレビを見ていた
私は2階で年賀ハガキの返信の準備をしていた
あ、地震だ
机の下にもぐった
揺れが長い
地震が収まってしばらくしてから机の下から出た
1階に降りると能登半島辺りが震源地、津波警報も出されていた
え?
このところ地震のニュースはあっても津波警報までは出ていないケースが多かったのに、日本海沿岸全域に津波警報?
石川県松任市や兵庫県香美町、鳥取県湯梨浜町の親戚や知人が思い浮かんだ
家族みんなで沈んでいたところに電話が鳴った
私の次兄からだった
「明日の新年会行けへんかも」と
「長男家族が富山県に遊びに行ってて地震にあったから、家(大阪)で待機したい」と
甥っ子には幼い娘二人がいる
いったいどこで被災して今どこにいるのかなんの連絡もない
連絡網を混線させないためにこちらから連絡はしない
朝になってやっと電話が鳴った
「無事帰宅した」と
甥っ子たちが大阪に帰宅したのは夜中の12時だった
よかった~
長兄宅での新年会は次兄も予定通り参加できた
今年初めて「親が他界した子供たち」ばかりの新年会になった
寂しさはなかった
私の両親、夫の両親、兄嫁の両親それぞれが無事に親を見送った自負があったからかな
LINE通話で甥っ子や三重県の親戚、姫路市の親戚と新年のあいさつをした
皆元気でよかった
LINEの会社が震度6以上になったら安否確認するタップボタンを掲載してくれることもわかった
7人の知人から「無事」の知らせがあった
今回私からは知らせなかったが
もしここが震源地に近かったら、この機能で皆さんに「無事」を知らせられるという安心感がある
夫のバンド仲間が夕方のニュースに出た
兵庫県香美町の小学校避難所からの中継で地区長としてインタビューに答えていた
今まで防災訓練をやってきてるので皆さん避難が早かったと言っていた
人って注意報だと動かないけど、警報に変わったら動き出すこともわかった
新年会を終え帰宅すると今度は羽田空港に着陸した旅客機炎上のニュース
なんという年明け。。。
いったい何が起こったの?
翌朝のニュースで、地震の被災地に救援物資を運ぶ海上保安庁の航空機とJAL旅客機が衝突したという
旅客機の乗員乗客全員が無事とわかって安心した
がその次の日、海保機の保安官5人が亡くなられたとの報道
ご本人もそうだし保安官のご家族の悲しみを考えるといたたまれない
救援に携わる人や犬の安全を確保しながらの救援の難しさをつくづく感じる
そろそろ義援金やボランティアの態勢も整いつつある
被災地以外の住民はなるだけ平常の流通を保ち被災地を経済基盤で支えることが大事らしい
亡くなられた方々のご冥福を祈る
津波、火事、家屋崩壊で避難所生活を余儀なくされた方々にどのタイミングでどんな支援ができるか考えねば