母が逝って思い出す | ECCジュニア阿弥陀魚橋教室

ECCジュニア阿弥陀魚橋教室

兵庫県高砂市阿弥陀町魚橋で
英語クラスを開講しています。
レッスンスケジュールやお知らせ、
クラスの様子、
日頃感じたことなど綴ります。

一か月前の今日、実家の母が亡くなった。90歳と半年生きた。

 

この一か月思い出す母は、写真の中の母じゃなくて、日常生活の中の母だった。

 

台所に立ってきゅうりのヘタをおでこにくっつけて笑っている顔。佐田の海の取り組みが始まると包丁を持ったままテレビの前に立っている姿。学芸会で着るドレスをミシンで縫っていた横顔。黒いダイバースーツでウニを担ぐ姿。盆正月にタッタカタッタカ作ったおせち料理を親戚や友人に振る舞いケラケラ笑う顔。晩年は、旅行帰りに何が一番よかったか聞くと「カラオケ」と言ってみんなをズッコケさせて喜ぶ顔。

 

が、母の人生は、幼少期は「おしん」のようだった。

両親がそれぞれ配偶者を亡くし再婚したため、一気に11人の兄弟と暮らし、再婚した両親のあいだに生まれた末の弟を背中にしょって学校にいっていた。戦争のことは母からは直接聞いたことはなかったが、叔母から聞いたのは学校の校庭を焼夷弾を避けながら逃げたこと。小学校をでると貧しい漁村から町の商売人さんの店へお手伝いの奉公にいった。でも奉公先で花嫁修業のようなことをさせてもらった。なんでも器用にこなせるのは奉公先の方々のおかげだったんじゃないかな。

 

漁村に帰ってからは連れ子同士の父と結婚した。19歳だった。

父は六男坊だったが、上の兄弟が戦争で亡くなり跡取りとなった。子供を3人設け、両親を家で介護し、看取った。連れ子全員が父や母とつながりがあるため全員が父母を両親のように慕い、盆正月はうちに集まりにぎやかに騒いだ。

 

子供が大きくなると、世は高度成長期に入り、大学進学の学費を稼ぐため長崎県から兵庫県に引っ越してきた。37歳だった。

しかも、新聞に載っていた求人広告で母が決め、先に新天地で生活基盤を固めてから、高校生の兄だけ九州に残しての引っ越しだっだ。昼間は電気部品などの製造工場で働き、夕方から夜にかけてその工場からの依託で内職をした。椎間板ヘルニアで入院もしたが、母としてはこの頃が一番幸せだったんじゃないかと、今は思う。家族みんなで内職の手を動かしながら、テレビのクイズ番組や松竹新喜劇を見ていたこの頃が私の一番幸せだった思い出だからそう思うのかもしれない。


63歳から82歳まで要介護の父を一人で看た。だんだん笑顔も口数も減っていった。父が亡くなり83歳から特別養護老人ホームに入所し、コロナに一度感染したが、ダイバーで鍛えた肺で乗り切れた。母と最後に会ったのは、亡くなる5日前だった。それもzoom面会だった。体に触れた最後は2020年3月1日だった。コロナウイルス対策緊急事態宣言が出てから一度も施設に行って体のケアができなかった。もうそろそろ直に触れ合える時期が来たと思ったら感染者数が増え、パーテーション越しの面会になったり、またzoom面会に戻ったりで、3年ぶりにやっと身体に触ることができたのは亡くなった日だった。連絡を受け病院に駆け付けたが間に合わなかった。もうひんやりしていた。

 

その日、母は午前中アクティビティを行い、その後全員で席に着きお昼ご飯を待っていたらしい。急に顔色が悪くなり、スタッフさんがすぐに心肺蘇生を試みて下さった。救急車が来て病院が決まるまでだいぶかかったらしい。兄嫁がずっと付き添ってくれ処置室でも心肺蘇生を頑張ったが心臓は動かなかった。結局亡くなったとみなされる時刻は、お昼前という診断だった。つまり母は、自然と心臓が動かなくなり亡くなったということだ。毎日世話をしてくださるスタッフさんや入所の仲間に囲まれて逝ったということだ。よかった。苦しまずに天国にいった。この世のお別れはやはりいつも世話をしてくださるスタッフさんでよかった。スタッフさんありがとうございました。

 

葬儀で弔問客の話やこころのこもった電報などを読むにつけ、母は私だけの私たち兄弟だけのために生きた人じゃなかったと改めて思った。跡取りの妻として大家族をよくぞとりまとめてやってきたものだ。そしてお嫁さんにも恵まれた。通院から生活用品、スタッフさんへの心づけ、入所に関わる全ての世話を精一杯してくださった。葬儀ではデヴィ夫人のように素敵な死装束を選んでくれた。こんなに美しい格好で天国へ行けるなんて母が一番びっくりしたに違いない。本当にありがたかった。

 

私は何一つ母に勝てなかったな。料理も、手芸も、人付き合いも、収入も。あ、一つ勝てた。整理整頓上手。私の宿命は、縁のある人が片付け下手なところ。母、姑、夫が片付けが苦手だからね。私が死んだら、「おばあちゃん、小ざっぱり生活していたなぁ」と言わせたい。そしたら天国で母に会った時勝利宣言してやろう。

 

90歳まで生き、子供3人結婚し、孫も3人、ひ孫も2人できた母。私はひ孫は見れないけど孫は見たいな。それよりすぐそこに来ている老々介護が問題よ。母のようにゆったりとコテッと死ねるかな?母と勝負するつもりでがんばろう!

音痴の父とメチャ歌の上手い母。

チークダンスも必ずお客さんに披露してたなぁ
なつかしい~