「一枚のはがき」... | Q太郎のブログ

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剣山】アクセス・営業時間・料金情報 - じゃらんnet

 

今は、町名改正で、神山町になっていますが...、

 

わたしの亡父の郷里は、徳島県名西郡上分上山村と

いう剣山に近い山村でありました。

 

 

 

わたしの家族は、大阪に住んでいましたが、

おじやおばたちは、上山に住んでいました。

 

 

 

わたしは、学生時代のある夏、2人の友人を誘って、

剣山登山を計画しました。

 

 

 

 

 

大阪から船で小松島に渡り、汽車で徳島へ出て

後は、乗り物も利用しない、宿屋にも泊まらない、

キャンプだけという計画でありました。

 

 

 

3人のリュックサックには、キャンプ用具と食料

その他で、途方もなく重たくなってしまいました。

 

 

 

リュックサックをかつぐと、肩のあたりの筋肉が

圧迫され、しびれて血液の流れも止まってしまいました。

 

 

 

 

 

リュックサックをかついで、立っているだけでも

苦痛でした。そこで、リュックサックの荷物を

取り出して、両手で下げるように

荷造りをし直しました。

 

 

 

 

 

とにかく、大阪を出発し、徳島までたどり着く

ことができました。そして、第1日目は、どうやらこうやら

「鮎喰川」に沿って、かたつむりのように、

のろのろと歩きました。

 

 

 

 

 

予定より、はるかに手前で、最初のキャンプを

張ることにしました。

 

 

 

 

 

第1日目の行程から考えてみると、上山村に

到着するまでに、何日かかるか想像がつきません。

 

 

 

 

 

3人は、相談した結果。わたしのおじの家のある

上山までは、歩くのをやめて、バスに乗ることに

してしまいました。

 

 

 

 

 

翌朝、バスでらくらくと上山まで、行って

しまいました。

 

 

 

 

 

上山村といっても、実に広いのです。

 

バスは、上山村の「川又」という字で終点です。

おじの家は「中津」という字にあるのです。

 

 

 

 

 

川又から、中津まで、6kmほどありました。

 

 

 

 

 

3人は、しかたなしに、

重いリュックを、かつぎながら歩いて、

おじの家にたどりつきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

剣山 | 徳島県観光情報サイト阿波ナビ

 

おじの家では、甥が友達を連れて、

はるばるやってきたというので、

大歓迎をしてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田舎のごちそう!里山キッチン(田舎料理作り体験) | 美ちしるべ  

 

鶏を●●すやら、ウナギを焼くやら、

下へも置かぬもてなしです。

 

友人がキャンプを張ると

言っても、承知しません。

 

 

 

 

 

座敷に布団を敷いて、蚊帳をつってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

田舎のご馳走の写真素材 [1397183] - PIXTA

 

 

毎日、おはぎや、寿司を作ってくれたり、

田舎ながら、精一杯の、ごちそうをしてくれました。

 

 

 

 

 

私たちは、よい気持ちで、

3日間をすごしました。

 

 

 

 

 

それから、3人は、剣山登山を決行しました、

荷物は整理して、軽くしてしまいました。

 

 

 

 

 

 

出発の朝、おじは、3人の荷物を1つにまとめて、

次の村の峠の上まで、

汗だくで運んでくれました。

 

 

いくら荷物の整理をしてあっても、

3人の荷物を一緒にすると、相当な重量でありました。

 

 

 

 

 

3人は、全く、恐縮してしまいました。

 

若い学生が、自分の荷物を、年上の人にかついで

頂いて居るのです。ところがおじは、

 

 

 

 

 

「君たちは、これから行程も長いのだし、剣山を

登らなければいけないのだ。

ちょっとでも、力を

セーブしておきたまえ」

 

と、言ってくれるのです。

そして、いくら言っても、

荷物を、かつがしてくれません。

 

 

 

 

 

やっと、隣村の峠の上で、

3人は、各々でかつぎ、

おじと手を振って分かれました。

 

 

 

 

 

その時の登山は、3人の

楽しい思い出となりました。

 

 

 

 

 

私たち3人が、無事に帰って、そして2週間も、

3週間も経ってからのことでした。

 

 

 

 

 

おじから、父に、はがきが来ました。

 

 

 

 

 

こんな意味のことが

簡単に、書かれていました。

 

 

 

 

 

...過日は、甥とその2人の友人が来て、

我が家一同は、大喜びであった、

 

田舎のことで、大した

もてなしもできなかったが、みんなとても喜んで

くれた様子である。

 

出発の朝、3人の荷物を隣村の

峠まで運んだが、力自慢の私にとっても、

大仕事であった。

 

 

 

 

 

しかし、それはともかく、家内や子供たちも、

3人からの、その後の便りを待っているが、1枚の

はがきも来ない。お礼状を催促するつもりはないが、

この頃の若いものは、のん気なものだ...。

 

 

 

 

 

私は、その葉書を父から見せられて、

汗顔赤面してしまいました。

 

 

 

 

 

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44 無駄なことは一つもありません【連続小説 ロベルト先生 ...

 

私は、自分が、はがき1枚出していないことを

棚に上げて、なぜ2人の友人が、お礼状を

出していなかったのかと、恨む気持ちにさえ

なっていました。

 

 

 

おじは、自分の兄に、出す便りですから、

遠慮気がねもなく、

あっさり書いているのです。

 

別段、

甥や、その友人を恨みがましく思っている

わけでは有りません。

 

 

 

 

けれども、私は、真心をもって、私たちに

もてなしてくれた、おじ家族の心を傷つけたことが

深く悔やまれてなりませんでした。

 

 

 

 

 

何年か経って、私も父親になってから、

私は、自分たちの子供には、

ことあるごとに、

「お礼状を忘れるな」と、

厳しくしつけています。

 

 

 

 

 

しかし、自分の学生のときの失敗は、まだ子供に

話したことはありません。

 

隠していたわけでは

無いのですが、この原稿を書くまで忘れて

しまって居たのです。

 

 

 

 

 

荷物をかついでくれたおじも、3年前の秋の終わりに

●んでしまいました...。

 

 

(庄野英二)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庄野英二『白い帆船』1971年、戦争体験も淡い投影: つぶやき館 ...

 

 

 

備考:この内容は、

昭和60-4-1

発行:財団法人A知県教育振興会

著者:庄野英二

「明るい人生 1年」

より紹介しました。