1年生の頃から、私はレギュラーで
コートに立った。わけも分からず出場した
インターハイで、M田尻女子高校が優勝。
その後、国体、春高(全国高等学校
バレーボール選抜優勝大会)と、
3冠を達成した。
当時の先輩たちは、本当に
強かった...。
現在、VリーグのJTマーヴェラスの
キャプテンをしている高木理江さんや、
トヨタ車体クインシーズの
梅尾千草さんが活躍していた。
そんな中で、
ポンとひとりレギュラーとして入り、
先輩たちに追いつきたい気持ちで、ただ
ただ、必●に、プレーをしていたのだ。
2年生になった年のインターハイで、また優勝。
M田尻女子は、4冠を達成した。
そうして、その年に行われる
宮城国体は、5冠がかかった大事な
大会となった。
連覇の数だけ、プレッシャーが
ズシリと、のしかかっていたのかもしれない。
私は、5冠のかかった国体の決勝戦で、
プレーの途中に両足が、つってしまった。
1セット目を、M田尻女子が先取した。
もう1セットはを取れば、5冠という
大事な局面だった。決勝戦の相手は、
東京のS徳学園(現・S北沢S徳)だ。
強豪校ではあるけれど、当時のM田尻女子の
3年生たちは、本当に強かったから、
決して難しい試合ではなかったと思う。
2セット連取のストレート勝ちも、
不可能じゃなかっただろう。M田尻女子の
ほうが、完全に試合の流れを
掴んでいたのだった。
しかし、2セット目、スパイクの後に
着地した途端、激しい痛みと痙攣が
起こり、私はその場で思わずうずくまった。
足だけでなく、全身の筋肉が
いうことをきかない感じだった。
「交代するか?」
という先生の言葉に、反射的に
「いえ、大丈夫です。痛くありません。
このまま出ます!」
と答えて、そのままコートに立ち続けた。
しかし、実際には、満足のいく
プレーができる状態ではなかったのだ。
2セット目をS徳学園に取られ、そのまま
ズルズルと、3セット目を落とした。
「もし...」「...たら」「...れば」
という仮定法はないけれど、あのとき、
自分のあまりにもひどい状態をきちんと
把握して、コンディションのいい控えの
先輩選手と交代していたら、
M田尻女子は、もう一度、流れを取り戻して
栄冠を掴むことができただろう。私が、
「このまま出ます!」
と、言わなければ...。
結局、M田尻女子は5連覇を逃した。
先輩たちに、有終の美を飾ってもうらう
ことが、かわなかった。自分の足が
つってしまったために、夢を壊して
しまった。後悔してもしきれない。
いまでも、足の痛みとともに、手の平に汗をかく
くらいリアルに、あのときの悔しさを
思い出すことがある...。
備考:この内容は、
2008-5-17
発行:実業之日本社
著者:栗原恵
「めぐみ MEGUMI」
より紹介しました。