って、とこかな? でも、ホントのバカは見ちゃ
いけないって、マネするから、飛行機に
飛び乗ったりなんかすると、困るから。
ホントのバカは、ダメだけど、
ふつうのバカには申し分ないと思う。
仕事にも勉強にも向いていない、ふつうのバカが、
休みの日に見てほしいね。本物は入場禁止
だけど、オレ担当の編集者O君、君に一番ぴったりの
作品なのではないかな?
野球だって、14対15の試合をとるか、
1対0の 試合をとるか、ってことがある。14対15で
ホームランを、10本ずつ打っている試合って
面白いじゃない、ポンポン打っているんだから、誰に
でも楽しめる、わかりやすい。
でもね、1対0という
投手戦のゲームは、それなりの味がある。
どっちを選ぶかっていっても、
どっちもいい試合なんだな、これが。
だけど、14対15は、バカでも
面白いかっていうけど、ホントのバカは、
1対0の試合の良さが、わからないだろう。
キャッチャーのリードがどうしたっていう
見方ができないんだよ。
日本人は、ふつう、14対15の試合を大味だって
いってクサすぎだろうね。1対0に価値を
置くだろう。アメリカじゃ、その逆なんじゃないかな?
本当は、そのどちらも面白いと思えるのが
一番、いいんだろうけど。
しかし、まぁ、アメリカ映画の物量作戦は、
相変わらず、すさまじいものがあるね。アメリカの
産業はこれから先、映画と、コンピューターソフト
しか、残らないかもしれないな。
映画って夢を作っているかぎり、
その性能がどうしたこうしたって
評価されないで済む。自動車なんかは、
ユーザーがいろいろ動かすわけだから、欠陥がすぐにわかる。
その点、映画は、単なる映像だからな。
アメリカの資本家が、製造業じゃなくて、映像産業に
どんどん投資するってのは、いまのアメリカの
気分を象徴しているんじゃないの?
日本の映画作りは、まだまだ遅れているね。
70億かけたといっても、映画的ノウハウがないし、
小規模映画は、妙に自意識ばかり強いしね。だから、
オレが、監督として思うのは、「ダイ・ハード」
の向こうを張るのは、避けること。物量作戦が
すごいといっても、ホントは、むしろ反対でね、
大げさなことを、どんどん省くことがすごいんだよ。
登山でいえば、エベレスト登頂なんか、かつては
大物量作戦でやってたわけだ。ヘリコプター
数機で、何10t もの資材を、第1次キャンプに運び、
それから第5次キャンプぐらいまで作ったり、
なにしろ大規模だった。
ところが、メスナーみたいな
ヤツが現れて、単独頭頂はやるし、無酸素は
やるしってことになる、かつての登山方式が 間抜けな
恐竜になってしまう。
本当にすごいと感動できるのは、やっぱり無酸素、
単独頭頂でしょ!
アメリカ映画は、相変わらず大金をかけて、
カネの詰まったシーンをじっくり見せるって
やり方を続けるだろうけど、それも女の描き方なんてのを
見ると意識の変化が現れている気がするよ。
セクシーそのものって女が 出なくなったね。
この映画でも、ヒーローの男っぽさを出そうと
するせいもあるけど、色っぽいシーンって
まるでないよ。
これは、結構、大きな意味があるかもしれない。
それに、家族は大切っていうイデオロギーね。
それが強まってるね。娯楽映画でも。
と、まあ、
高級な話になり過ぎたので
「カット、カット~!」。
備考:この内容は
1991-12-18
発行:太田出版
著者:ビートたけし
「仁義なき映画論」
より紹介しました。