今回の作品『I COME WITH THE RAIN』でも 香港の
現場でのコミュニケーションは、基本やっぱり英語。旅行者として海外に
いるときとは違うボキャブラリーも必要になってくる。だから、自分として
は ずいぶん、がんばって相手の言いたいことを吸い込もうとして、いつも
以上に目を見ないと理解できないんだよね。
毎日、脳みその違う部分を使ってるような感じ。間違いなく日本にいる
ときより口数は減る...。伝えたい容量はいっぱいあるんだけれど、その蛇口
が ほそ~くなっているから...。
セリフも英語だから、まずは日本語訳をして
もらった台本訳本もいただいて、
それで、理解してから現場に行くようにしてる。一度ネイティブの人に英語で
吹き込んでもらったテープを聴いて覚えるやりかたもありだと思った
けど、それだとやっぱりその人の言葉を再生する感じになっちゃう気がして...。
現場では、監督から「その文章は途中で一度切って!」とか言われて
言い直したり。そこはめちゃくちゃ開き直った考え方かもしれないけど、
現場でダメって
言われたら、現場で対処すればいいと思っている...。
ありがたいのは、現場にはヨーロッパの人もアジア圏の人もいるって
いうこと。母国語でない人にとって、英語はコミュニケーション・ツール
にすぎないから。
今、現場のメイクさんは、2人いるんだけれど、2人とも、スペインの
女性で、僕には英語で接してくれる。でも「ちょっとあれとってよ」とか、
2人で交わす言葉はスパニッシュなんだよね。そこで「ン?」って
顔すると、”OH!
Sorry”って気づいて「英語ではこういう意味。
日本語ではどういうの?」って聞いてくれる。
Do you know?
共演のジョシュ・ハートネットは、”Kimura"
って呼びかけてくれる。
監督やスタッフは、”Takuya”。アジア圏の人たちはなぜか
”Kimura-san”。ほんとに、安い言葉だけど、いい人ばかり。
この作品に参加させていただきたいと思ったのも、やはり監督に会って、
すごく素敵な人だと思ったから、撮っているシーンは、すごくグロテスク
だったりシリアスだったりするんだけど、
現場の雰囲気は全然違ってくる。
ホテルの玄関を一歩出たら、夜でも昼間みたいにパパラッチの
フラッシュがタカれたり...。日本ではないところにいるからこその違和感は
大前提としてある。
悲しみや喜び、作品の中で気持ちを表現するための方法も世界各地、
いろんな形があるのだろうし。でも映画をつくる現場の熱意って、そんなに
差はないんじゃないかと思う。
そこで、また、マスコミには、「イ・ビョンホンと競演!」とか、「日本代表」
とか書いていただいたりしているけど...。
でも、自分では、そういう意識は
まったくない。「競」じゃなくて「共」。
今は、そう感じながら、楽しませて
もらっているところかな。
英語は、そのための便利なツールだよ...!
備考:この内容は、
2011-9-30
発行:集英社
著者:木村拓哉
「開放区2」
より紹介しました。