「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」の紹介... | Q太郎のブログ

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パクリもあるけど、多岐にわたって、いい情報もあるので、ぜひ読んでね♥
さかのぼっても読んでみてね♥♥

Vol431 オープニング みごろ!たべごろ!笑いごろ ...

 

 

 

期間:1976(昭和5)年10月~1978(昭和53)年3月

 

曜日/期間:月曜/20:00~20:54

 

主な出演:伊東四朗、小松政夫、キャンディーズ、ザ・ハンダース など

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Vol1 502 ~悪ガキ一家の鬼かあちゃん~みごろ!たべごろ!笑い ...

 

 

 

【伊東四朗x小松政夫の名コンビ

 

狂騒の『電線音頭』が大ブームに!

 

 

 

「わたくし、四畳半のザット・エンターテイメント・

 

小松与太八左衛門でございます!」...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊東四朗さん「俺より先に逝くなんて」 小松政夫さん死去 - 産経 ...

 

 

小松政夫が、コタツの上に駆け上がり、

 

そんな名調子で、伊東四朗扮する

 

「ベンジャミン伊東」が紹介され、彼が率いる

 

「電線軍団」(清水アキラ、アパッチけん、

 

アゴ&キンゾーらが

 

組んでいたザ・ハンダースを中心した面々)が、

 

”乱入”してくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

78.3.3 「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」最終収録 | 季節の ...

 

 

当時、人気絶頂だったアイドル・

 

キャンディーズは、一気に混乱に陥った。

 

感電したあとの

 

ようなボサボサの頭と、ダリのような口ひげ、ド派手な青い

 

ラメのジャケットに片手にムチを持っている

 

アングラサーカス団の団長のようなアナーキーな風貌の伊東、

 

彼が「人の迷惑顧みずやってきました電線軍団!」

 

と口上を述べると、手拍子が始まる。

 

 

 

 

 

「チュチュンがチュン チュチュンがチュン♪」

 

一斉を風靡した『電線音頭』だ。

 

 

 

 

 

コタツの上で繰り広げられる

 

狂騒は、やがてキャンディーズたちにも伝播していく。

 

 

 

そこに「はるか遠いニューギニアの火力発電所

 

から100万ボルトの電線をひた走り只今参上!」

 

と登場するのが「デンセンマン」

 

なる”ヒーロー”。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みごろ!たべごろ!笑いごろ! -たべごろ! Box 2 | HMV&BOOKS ...

 

 

彼は別に伊東と戦ったりするわけではなく、

 

一緒に『電線音頭』

 

を踊って去っていく。

 

 

 

 

 

けれど、「チュチュンがチュン」という

 

フレーズは麻薬的に子ども心を

 

虜にし、コタツの上で踊り狂う

 

子どもが続出。

 

社会問題になるほどのブームを

 

生み出した。

 

 

 

 

 

ちなみにデンセンマンの

 

デザインは、石ノ森章太郎によるもの。

 

 

 

 

 

そのスーツアクターが

 

元・オフィス北野代表取締役社長の森昌行

 

だったというのは伝説として語り継がれている。

 

 

 

 

 

もともと、『電線音頭』は、『ドカンと一発60分!』で桂三枝

 

(現・桂文枝)が考案し、披露していたネタを子供向けに

 

アレンジして継承したものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小松の親分さん、ありがとう - 江戸の黒豹党

 

 

小松と伊東といえば、

 

『笑って笑って60分!』で

 

コンビを組み、息の合った掛け合いをしたのが

 

好評だった。この番組のプロデューサーであり、渡辺プロの

 

前原正勝が、のちに『テレ朝の天皇』と呼ばれる

 

皇達也と組んで作ったのが『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』

 

だった。皇は小杉潤名義で演出も担当している。

 

 

 

 

 

『悪ガキ一家の鬼かあちゃん』も人気を博した

 

コントだ。伊東が母親・シロ子を演じ、コマツが息子・政太郎、

 

キャンディーズの3人も、それぞれラン助、スー吉、

 

ミキ子という4人兄妹に扮した。

 

 

 

 

 

伊東は、キャンディーズの

 

3人ばかりをかわいがり、小松に対しては虐待

 

まがりのいじめ。

 

3人がいないときには、「実はお前が一番

 

かわいい」と、コマツを慰めるが、3人が戻ってくると

 

一転。

 

 

 

 

「このマイナー息子が!」などとなじると、舞台が暗転し、

 

 

 

悲しげな表情で、ちゃぶ台の上にのぼった小松が、

 

パペット片手に、

 

「し~らけど~り飛んでい~く~♪」と

 

歌い出す。

 

 

 

 

 

この切なくもおかしい『しらけ鳥音頭』も

 

大ヒットし、その後も小松政夫の代名詞ギャグとなった。

 

 

 

これはやがて巨大化した、しらけ鳥が街を破壊する

 

特撮コーナーにまで発展。シュールなドタバタ

 

コメディを極めて行った...。

 

 

 

 

 

キャンディーズは、1978(正和53)年4月の引退に

 

合わせ、3月末で番組を卒業。それに伴い

 

『みごろ!ゴロゴロ!大放送!』にリニューアルし、より伊東&

 

小松色が強い番組になっていった。

 

 

 

 

 

途中からレギュラーに

 

加入した武田鉄矢と西田敏行が、福岡と福島、

 

それぞれの方言丸出しで、ニュースを読み上げる

 

『県民ニュース』などで活躍する。

 

 

 

 

 

『3年B組金八先生』や『池中玄太80キロ』

 

が始まるのはこのあと。武田と西田という

 

名コンビは、この番組で生まれたのだ。

 

 

 

 

 

だが、ハイブロウでバカバカしい笑いを生み出した

 

番組も、キャンディーズが抜けたANAは大きく、1年で

 

終了した。伊東四朗は、「ベンジャミン伊東」という稀代の

 

キャラについてテレビ番組で、こう振り返っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Vol333 悪ガキ一家の鬼かあちゃん みごろ!たべごろ!笑いごろ ...

 

 

「いろんなバラエティで、いろんなキャラクターが出てきて

 

ますけど、あれほどバカなキャラクターは、それ以後

 

ないと思ってますね。あんなにバカバカしいもの

 

ないですもん。そういう意味ではね、

 

誇りに思っています...」

 

     (戸)

 

 

 

 

 

 

 

 

備考:この内容は、

2022-1-25

発行:辰巳出版

「日本懐かしテレビ大全」

より紹介しました。