期間:1976(昭和5)年10月~1978(昭和53)年3月
曜日/期間:月曜/20:00~20:54
主な出演:伊東四朗、小松政夫、キャンディーズ、ザ・ハンダース など
【伊東四朗x小松政夫の名コンビ
狂騒の『電線音頭』が大ブームに!
「わたくし、四畳半のザット・エンターテイメント・
小松与太八左衛門でございます!」...
小松政夫が、コタツの上に駆け上がり、
そんな名調子で、伊東四朗扮する
「ベンジャミン伊東」が紹介され、彼が率いる
「電線軍団」(清水アキラ、アパッチけん、
アゴ&キンゾーらが
組んでいたザ・ハンダースを中心した面々)が、
”乱入”してくる。
当時、人気絶頂だったアイドル・
キャンディーズは、一気に混乱に陥った。
感電したあとの
ようなボサボサの頭と、ダリのような口ひげ、ド派手な青い
ラメのジャケットに片手にムチを持っている
アングラサーカス団の団長のようなアナーキーな風貌の伊東、
彼が「人の迷惑顧みずやってきました電線軍団!」
と口上を述べると、手拍子が始まる。
「チュチュンがチュン チュチュンがチュン♪」
一斉を風靡した『電線音頭』だ。
コタツの上で繰り広げられる
狂騒は、やがてキャンディーズたちにも伝播していく。
そこに「はるか遠いニューギニアの火力発電所
から100万ボルトの電線をひた走り只今参上!」
と登場するのが「デンセンマン」
なる”ヒーロー”。
彼は別に伊東と戦ったりするわけではなく、
一緒に『電線音頭』
を踊って去っていく。
けれど、「チュチュンがチュン」という
フレーズは麻薬的に子ども心を
虜にし、コタツの上で踊り狂う
子どもが続出。
社会問題になるほどのブームを
生み出した。
ちなみにデンセンマンの
デザインは、石ノ森章太郎によるもの。
そのスーツアクターが
元・オフィス北野代表取締役社長の森昌行
だったというのは伝説として語り継がれている。
もともと、『電線音頭』は、『ドカンと一発60分!』で桂三枝
(現・桂文枝)が考案し、披露していたネタを子供向けに
アレンジして継承したものだ。
小松と伊東といえば、
『笑って笑って60分!』で
コンビを組み、息の合った掛け合いをしたのが
好評だった。この番組のプロデューサーであり、渡辺プロの
前原正勝が、のちに『テレ朝の天皇』と呼ばれる
皇達也と組んで作ったのが『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』
だった。皇は小杉潤名義で演出も担当している。
『悪ガキ一家の鬼かあちゃん』も人気を博した
コントだ。伊東が母親・シロ子を演じ、コマツが息子・政太郎、
キャンディーズの3人も、それぞれラン助、スー吉、
ミキ子という4人兄妹に扮した。
伊東は、キャンディーズの
3人ばかりをかわいがり、小松に対しては虐待
まがりのいじめ。
3人がいないときには、「実はお前が一番
かわいい」と、コマツを慰めるが、3人が戻ってくると
一転。
「このマイナー息子が!」などとなじると、舞台が暗転し、
悲しげな表情で、ちゃぶ台の上にのぼった小松が、
パペット片手に、
「し~らけど~り飛んでい~く~♪」と
歌い出す。
この切なくもおかしい『しらけ鳥音頭』も
大ヒットし、その後も小松政夫の代名詞ギャグとなった。
これはやがて巨大化した、しらけ鳥が街を破壊する
特撮コーナーにまで発展。シュールなドタバタ
コメディを極めて行った...。
キャンディーズは、1978(正和53)年4月の引退に
合わせ、3月末で番組を卒業。それに伴い
『みごろ!ゴロゴロ!大放送!』にリニューアルし、より伊東&
小松色が強い番組になっていった。
途中からレギュラーに
加入した武田鉄矢と西田敏行が、福岡と福島、
それぞれの方言丸出しで、ニュースを読み上げる
『県民ニュース』などで活躍する。
『3年B組金八先生』や『池中玄太80キロ』
が始まるのはこのあと。武田と西田という
名コンビは、この番組で生まれたのだ。
だが、ハイブロウでバカバカしい笑いを生み出した
番組も、キャンディーズが抜けたANAは大きく、1年で
終了した。伊東四朗は、「ベンジャミン伊東」という稀代の
キャラについてテレビ番組で、こう振り返っている。
「いろんなバラエティで、いろんなキャラクターが出てきて
ますけど、あれほどバカなキャラクターは、それ以後
ないと思ってますね。あんなにバカバカしいもの
ないですもん。そういう意味ではね、
誇りに思っています...」
(戸)
備考:この内容は、
2022-1-25
発行:辰巳出版
「日本懐かしテレビ大全」
より紹介しました。