【地元のあの有名店に、
菓子製造職の
「ものづくりマイスター」がいた!
(常に考え、やり続ける、
自分のお菓子作り...。)
18歳で、洋菓子の世界に入ったIさん。
いかせんべいを作るH南の商売屋で、
産まれ育ち、高校生のときには、
いずれは、自分も食品で商売をしたいと
思うようになる。
卒業後、N古屋に
あった大手企業の洋菓子を扱う
軽食喫茶に就職。
洋菓子の製造工場に
入り、お菓子作りを覚えた。
洋菓子は、
バタークリームが主力で、作れば
売れた時代。
1日15~16時間労働は
当たり前と、ただただ働き、入社4、5年で、
洋菓子製造の責任者となった。
モーレツ社員として働く中、
プライベートでは、22歳で結婚。
翌年子どもが
生まれ、自分で店を出すことを決意
する。
場所をI市にしたのは、
妻の出身地だったから...。
27歳になる
1977年(S52)
「K」の店を始めたのが、
「自分の店を出してから、ボクにとっての
本当のお菓子創りがスタート
しました」と、Iさんは言う...。
【学びを反芻し、自分の形を...】
今「K」は、2店舗を構え、
Y町に「K nobu」
M本「K 森本」がある。
創業店は、
NOBUから800mほど、東にあった。
「8坪ほどの小さな店を、ゴールデン
ウィーク前に、オープンしました。
連休中は、それなりに売れましたが、
連休明けからは、まったく売れなくて。
毎日、廃棄分が、売上の
3~4倍ありました」。
当時、廃棄分は、捨てるしかなく、
夏になり、売上は、
ますます伸び悩む。
「冬を乗り越えられなかったら、
また、働きに出よう」と覚悟した。
そして、クリスマス。
「終わったときの
スポンジの切りカスと、ゴミの山を
今でも覚えています。
やれやれと(笑)。
自分の技量は、通用しないと思い知った
1年目のクリスマスでした」。
それでも、
12月・1月は、なんとか売上を確保
できた。どうにか、1年が過ぎた。
「K」の美味しさが、徐々に周知された
のだろう。売上は、少しずつ伸びていった。
店を始めて痛感したのは、企業店舗の
お菓子と、個人店舗のお菓子は、まったく
違うということです。
「作り方も、使うどうも、
売り方も、個人店では、どうして
いるのか知りたくて、いろんな講習を
受けたり、他のお店を見学して教えて
もらったり...。
家内と2人で、日本全国
あちこちに行きました...。
「学んだことは、
何度も反芻し、繰り返し取り組み、
自分のスタイルを追求。
「K」で売る、
Iさんのお菓子作りを
確立していった...。
備考:この内容は、
令和5-10-20
発行:ケイ・クリエイト
「くれよん 11月号」
より紹介しました。