期間:1986(昭和61)年5月~1989(昭和64)年4月
曜日/時間:金曜/20:00~20:54
主な終焉:ビー○たけ○、たけ○軍団、I倉三郎、T隼人、I川淳二、Y沢慎吾 など
【T隼人の号令がこだまする
大スケールのサバイバルゲーム】
「天を突き、そびえ立つこの城を、人は『たけ○城』
と呼ぶ。今まさに、この城を巡って、壮絶な戦い
の火蓋が切って落とされようとしていた」...。
そんな荘厳なナレーションから始まるのが、
大規模な視聴者参加型体力系サバイバルゲーム番組の
パイオニアとなった『たけ○城』だ。
ビー○たけ○が、「城主」として君臨する城を、
陥落させるため、毎回、
約100人の視聴者が、数々の
難関ゲームに挑んだ。
何といっても、この番組の最大の特長は、その
壮大なセットだろう。総工費1億円とも、2億円とも
いわれる大スケールの「城」を、ティーBSが所有する
Midori山スタジオの広大な敷地に作り上げた。
そこで行われたゲームは、滑りやすい坂をロープを使って登る
「国境の坂」、池の上の飛び石(ただし、半分はダミーの
石になっている)を使って、向こう岸まで飛び移る
「竜神池」。
いくつもの小部屋に分かれた館を、2匹の
「悪魔」に阻まれながらゴールを目指す
「悪魔の館」。
バレーボールの砲撃を受けながら、不安定な吊橋を
渡り切る「ジブラルタル海峡」など、
シンプルかつ、
ダイナミックなものが多かった。
また、運要素がつ強いのも特徴。ゲームで勝ち残った
者たちは、最後の難関である、たけ○たちとの直接
対決「カート戦」に挑戦する。戦車(カート)に
乗り込み、たけ○が、乗った戦車の的を、水鉄砲で破くことが
できたら100万円というもの...。
しかし、たけ○の戦車は、
ほかの戦車よりも大きく、スピードも早い。
しかも、水鉄砲の勢いも強くなっていた。結局、
番組を通して、3年間で5回しか、たけ○軍が、負けた
ことは、なかったという...。
それまでの、視聴者参加型番組は、多くの場合、
数人の目立った参加者に焦点をあて、その人間性を
描くことで、視聴者の感情移入を促していた。
だが、『たけ○城』では、次々に挑戦者たちがゲームに挑み
失敗して水浸し、泥まみれになっていく姿を、矢継ぎ早に
見せていた。
この番組で、見せたいのは、「感動」ではない。
あくまでも、「笑い」なのだと。T川談志は、「たけ○城」を
見て、「究極のアクションギャグ」だと評していた。
そこに、言葉は、いらなかった。だからこそ、
現在に至るまで、日本のみならず150カ国以上で、
放送される大ヒット番組になったのだ...。
備考:この内容は、
2022-1-25
発行:辰巳出版
編集人:廣瀬裕志
発行人:廣瀬和ニ
著者:戸部田誠
「タツミムック・
日本懐かしテレビ大全」
より紹介しました。