【なんとも気詰まりな雰囲気...】
男...おそらく、その家の主人は、白い顔の
うすい唇から。ちろっ、と舌を出した。
真っ赤な舌だった。
「...いけませんねぇ。降られましたか。
いけません。御運が悪い...」
そのときになってやっと、千葉さんは
自分が不法に...少なくとも無作法に
見知らぬ家に侵入していたことを思い出した。
まったく彼にも似合わない、迂闊さで
あった...。
それで、遅ればせではあったけれど、男に
謝罪し、雨が止むまで土間にいさせて
もらいたいと改めて頼み込んだ。男の目が、
千葉さんが話している間、しきりに
ぎょろぎょろと、動き回る...。
男は、寛容だった。
「顔には驚きましたけれどね。そう...
親切でした。とにかく、その時は、
そう思いました。私の言うことにうなずいて、
独特ではあったけれども、丁寧な口調で、
こう言ったんです。
「困ったときには、お互い様ですよ。
...ああ、しかし、これは、しばらく
止みそうも、ない。見てのとおり、掃除も何もかも
行き届いていない家ですが、雨が
あがるまで、上がっておいきなさい。
いけませんよ
...
こんなときに遠慮なんて、
無用ですよ。ああ、いけません...」
そうまで言われたら、勝手に入り込んだ
負い目もある。千葉さんは、すすめられる
まま、土間から上にあがった。
男が袖からのびた、やはり細い白い手で、
引き戸をあけると、中は、6畳ほどの
畳敷きの部屋であった。
正面に襖があり、左側には、廊下があるのか
障子戸がある。両方とも閉め切られて
いて、そして右手は土壁になっていた。
畳の上には、ちゃぶ台があり、部屋の隅に
小さな和箪笥が置かれている他は、
何も...ない。
恐ろしく...
おそろしく殺風景な
部屋だった。
障子戸から外の明かりは、ぼんやりと
入ってくるけれど、電灯も見当たらない。
陰気で、あたりは、うす暗い...。
「まあ、お座りください。座布団もなくて
恐縮です。が、さ、さ、...
けませんえぇ。正座なんて、ごめんこうむり。
どうか楽にして、ええ、楽にして...」
「はあ。...
どうも」
ちゃぶ台の一方。入り口に近い側に腰をおろした
千葉さんは、相手に、そうすすめ
ながらも自分は正座している男を、嫌でも
しげしげと見ることになった。
(見れば、見るほど、かまきりだ。異相という
言葉があるけれど、こんな人相がある
なんて...)
ぎょろぎょろと、せわしなく動き回る
目が気になってしょうが、ない...と、
男が不意に、後ろの襖に向かって怒鳴った。
「これ、お茶を持って来なさい!」
すると、襖のむこうで気配が、した。
大きな「もの」が、のそりと動く気配。
それから、
ススッ。す~っ。
と、衣服が、畳に擦れる音が続く。
(奥に、この人の奥さんか誰かが、
いるのだろうか?)
男が、肩越しに、怒鳴った後は、部屋の中は、
一気に、シーンと静まり返った。
時計もない室内は、コトリとも音がしない。
男はと、いうと、視線を正面に...つまり
千葉さんに釘づけにして。そして...
何もしゃべろうとはしない。...
何も...。
「......」
先程の丁寧なすすめが、表面だけのもので
あったかのように、男は、いつまでも
黙っているのだった。
目玉を別にすれば、男の顔は、無表情とすら
言えた。のっぺりとした顔からは、
何も、読み取れない、
その目も、先程から、瞬くということを
しない、そうだ。義眼を、はめこんで
いるみたいに、だ。
千葉さんは、どうにも気詰まりであった。
それに、正直なところ...男の異相と
沈黙とが不気味でもあった。
気詰まりは、だんだん後悔へと
変わっていった。
(弱ったな。やはり、あそこ、...土間にいた
方が良かった、うかうかと、
あがり込んで閉まって、
これは辞退するべきだった...)
備考:この内容は、
2009-7-5
発行:KKベストセラーズ
著者:さたなきあ
「とてつもなく怖い話」
より紹介しました。
ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ...