N島さんが、監督となった昭和50年。みんな
新生・N島巨人に、期待した思いますわ。けど、終わって
みたら、屈辱的な最下位、ワースト記録も
ようけ作ってしまいました。なんで、
こないなってしもたんやろ?
原因は、明らかですわ。
選手・N島がおらんようになってしもたんが、
最大の原因やね。
N島さんが、選手として、さっそうと
グラウンドにおるのと、監督でチョロチョロ
しとるのとでは、大変なちがいですわ。
老いたりといえども、N島さんが、相手選手に与える
プレッシャーは、かなりのもんでっせ。それがなくなった
んやから、相手はノビノビ、巨人はメロメロ。
結果は、言わずもがなですやん。
川上さんにも、責任がある思いますわ。
N島を燃え尽きるまで使って、さっさと身を引いて
しもたんやから。
勝てへんチームを引き継いだ
N島巨人が最下位になったんは、
当然ですわ。誰が監督でも、
勝てへんかった思うわ。
もうひとつの原因いうたら、巨人ナインが
N島さんを、知りすぎてたことやろがね。”サインは
見落とす、何も考えてへん” いう人が、
なに言うたかれて、素直に納得できますかいな。
”ミスター、あんなサインだしとるけど、
ホンマに大丈夫かいな?”
これでは、勝てへん。ふつう新監督になった
チームは成績がええもんなんです。選手が監督に
ついて行きよるからですわ。相手がどんな
人かわからんのやから、ついていくしかしょうがない。
最下位になったとき、N島さん、思たやろ。
”やっぱり巨人軍は、ボクがいないと、勝てないんだな?
何で、ボクはやめたんだろう?”
備考:この内容は、
1984年
発行:青春出版社、
著者:板東英二
「プロ野球知らなきゃ損する」
より紹介しました。