【1号線 原付きスクーターで東海道を往けば駿河の国に茶の香り】
★松尾考昭 & ジョルノクレア DX
<難なく超えた天下の険>
私に与えられた馬は、50ccの原付き
スクーター、ジョルノ・クレアで、
行く手は、国道1号線である。東京から
距離の縛りが150km以上となれば、
東海道なら静岡県から先だ。
静岡と言えば茶処ではないか。
私は、ここのところ、日本茶党である。
長くコーヒーを、欠かさなかった私が、
3年ほど前、知人から頂いた煎茶を
喫して依頼、その爽やかな香りと、
ほのかな甘みに魅了されてしまった。
それが、静岡産の煎茶だったのだ...。
日本の茶は、今から1200年ほど前の
平安朝に、唐(今の中国)への留学僧
たちが、持ち帰ったのが始まりと
されている。
その後、鎌倉時代に栄西禅師が、
「喫茶養生記」をあらわし
健康への効能を宣伝したため、茶への
関心が高まった。また、織田信長、
豊臣秀吉、徳川家康らが、茶の湯を愛した
ことは、よく知られている...。
その茶を、日本一生産する地が静岡
県だ。浪花節にも、「駿河国に茶の
香り」というくだりがある。話に
聞けば、文化施設を兼ねた公共の茶席
があって、私のような庶民が、普段は
お目に(お口に?)かかれないような
美味しい茶を、喫することができる
らしい。それならと、目的は決まる。
走路は、もちろん国道1号線だ。
大きな不安材料は、1泊2日の
行程で原付を駆って、肝心の静岡まで
往復出来るかだったが、結論から言えば、
不安は杞憂に終わった。
たかだか4.8馬力の
49cc4サイクル水冷シングル
エンジンを積んだ、小さなスクーター
は、防寒のため、雪だるまのように
ウエアを着込み、ヘルメットを被れば
70kgは軽く越えようという、私を
乗せて、悪名高い一国の渋滞も軽く
すり抜け、天下の険、箱根の山さえ
難なく超える、駿河の国、静岡まで快走
したのだった...。
難所だったのは、ホンダの現最高
顧問・川島喜好氏が技術者時代に自ら
設計した、E型ドリームで挑戦して見事に
涙を流したという、箱根の山超えで
はなかった。
むしろ、現代最先端技術
の結晶とも言うべき、ホンダの環境
対応スクーターにとって、正念場だった
のは沼津市、富士市、清水市街を
迂回するように流れる、国道1号線
バイパスにおける大型トラックや、乗用車
との、●闘だったのである...。
方向音痴と言われて久しい私が、
「ルート1」と描かれた、
道路標識を頼りに走って
行くと、走路は必ずと言ってよい
ほど、バイパスへと導かれる。
旺文社のツーリング
マップルを見入ると、富士川
近辺には注意書きで ”ほとんど高速。
スピード注意” などと記されている。
しかも、高架になっている場所が多く、
片道1車線区域で、センターラインに
追い越しできないようポールが立つ
となれば、途中下車もできず、
シケインでいることさえ許されない。
中速域の豊かなトルクで、滑らかに
加速し、直進安定性も高く、それでいて
ソフトな乗り心地の、ジョルノクレア
だが、いかんせん、最高速度は
現在の平均的なスクーターだ。
速度計の針はフルスケール60km/hの
メーターを、少し振り切ったあたりから、
ピクリとも動かない。この寒さでも、
熱ダレが心配になるほど、全開状態を
続ける羽目になった...。
道が空き始めると、恐怖の追い上げが
(当の車の運ちゃんたちは、そんな
気はないだろうが)、次々と
始まる、路側帯と呼べるほどのスペース
は無いが、アクセル全開のまま左に
寄ると、80km/hほどで、風を巻いて右側
の右ハンドル先端が10~20cm、左の
側壁と左ハンドル先端が10~20cm、
心臓が口から飛び出しそうになる
のをこらえながら、帰りは絶対に同じ
轍は踏むまいと、思うのであった...。
備考:この内容は、
平成12-3-15
発行:八重洲出版
「mator cyclist」
より紹介しました。