あの日、僕らをテレビに釘付けにした
昭和の3大生中継事件
カラーテレビの普及が本格化した1970年以降、
僕らは、大事件や事故の様子を、ブラウン管から
受け取ってきた。
それは時に生々しく、深夜の生中継では、
眠い目をこすりながら画面に、食い入ったことも...。
その中でも、今なお、脳裏に焼き付いて
離れない3大生中継事件を振り返る...。
===================
「M菱銀行 人質たてこもり事件」1970(昭和54)年1月
白昼、大阪のM菱銀行K畠支店に猟銃を持った男・U川A美が、
押し入り、支店長ら2人を射○した上、客と行員らを人質に立てこもった。
駆けつけた警官2人を射○し、42時間にわたって店内に籠城を
続ける。緊迫した様子は、テレビ各局の長時間中継で、全国に伝えられた。
犯人は、女性行員を全裸にして「人間の盾」にしたり、行員同士の
耳を削ぎ落とさせるなど、蛮行におよんだが、その多くが明らかに
なるのは、事件解決の後だった。
最後は、O阪府警の機動隊が、U川の
スキをつき発砲。人質は救出され、U川の○亡により、
事件は幕を閉じた。
衝撃に事件は映画やドラマになるなど、
その後も社会に影響を与えた...。
=================
【T田商事会長 刺○事件】 1985(昭和60)6月
金のペーパー商法詐欺で、2000億円もの被害を出したT田商事の
会長・N野K男が、自宅にいるさなか、自称、右翼の2人の男に
押し入られ、惨○された。
当時、N野は、詐欺事件の渦中の人として連日
挙動が報じられ、その日も、
O阪のマンションの前に、記者やカメラマンが
総勢40人ほど、張り込んでいた。
男2人は、「被害者からN野を、
ぶっ○してくれと頼まれた」と言い、
玄関横の窓を破壊して侵入。
中にいたN野を襲うと、2人は、血まみれの姿で部屋から現れ、1人の片手には
軍刀が握られていた。その様子は、夕方のニュースで、一部編集されて
放送されたが、MHKでは、
「子どもに見せないで」と、
呼びかけていた...。
===============
【N本航空123 便墜落事故】 1985(昭和60)年8月
H田を飛び立ったN本航空123便O阪行きが、飛行中に操縦不能となり、
O巣鷹山の尾根に激突。乗員・乗客500人超が、犠牲になった
未曾有の事故。テレビの第1報は、MHKのPM7:00のニュースの終わり際、
M平S知アナが伝えた「レーダーから機影が消えました」の、ひと言だった。
その後、各局が、特別番組体制を敷き、状況把握に追われたが、
墜落の事実が明らかになったのは、日付が変わる頃だった。
早朝、報道ヘリから映し出されたのは、まだ、黒煙が上がる機体の
残骸と衝撃で、はげ上がった山肌。
絶望を絵に描いた状況の中、かろうじて生き残った
1人の少女が、自衛隊のヘリで救出される姿に、
多くの人が涙した...。
備考:この内容は、
2022-1-25
発行:辰巳出版
「日本懐かしテレビ大全」
より紹介しました。