【巨泉・キンキン・義一が司会の 元祖・お色気深夜番組】
期間:1965(昭和40)年11月~1990(平成2)年3月
曜日/時間 月~金曜/23:15~24:21(初期は23:00~24:00)
主な出演:大橋巨泉、愛川欽也、藤本義一、朝丘雪路、松岡きっこ、秋川リサなど
ラインダンサーが踊るアニメーション、タイトル
バックに流れるシャレたスキャットのテーマ曲・・・昭和
時代に少年期・青年期を過ごした人にとって、深夜の
”お色気テレビ番組”として真っ先に思い出されるのは
『11PM』だろう。
『11PM』は、1965(昭和40)年11月、日本初の
深夜のワイドショー番組としてウィークデーの毎日、
月・水・金が東京・日本テレビで、火・木が系列の大阪・
読売テレビの交互制作でスタートした。
1974(昭和49)年からは、月・金曜の司会が大橋巨泉、水曜は
愛川欽也が担当。ジャズ評論家として活躍していた巨泉は、
軽妙洒脱でテンポのいい独特の司会ぶりで人気に・・・。
”キンキン” こと愛川欽也も、深夜ラジオのパーソナリティで
慣らした親しみやすい喋りで番組を進行。
一方、大阪版の司会は、一貫して藤本義一が努め、作家らしい
鋭い分析力と見識の高さで安定感を示した。この3人
体制が1980年代半ばまで続き、藤本は番組終了
まで司会を努めた・・・。
”ホステス” と呼ばれたアシスタント役は、巨泉の
名パートナーだった朝丘雪路をはじめ、松岡きっこ、
秋川リサら、大阪は、元芸姑の安藤孝子や、真理アンヌ、
松居一代らが花を添えた。
ちなみに”ボイン”という言葉の由来は、
番組中に巨泉が、朝丘の豊かなバストを、
からかって使い出したことが、きっかけで広まったと
言われている。
水着やバニーガール姿など、惜しげもなく
肌を露出して番組を彩った歴代のカバーガールからは、
多岐川裕美、かたせ梨乃、村上里佳子、飯島直子といった
スターも輩出されている・・・。
『11PM』の最大の特徴は、いうまでもなく、
深夜帯のお色気要素だ。年末の恒例番組だった「紅白
スト◆ップ合戦」をはじめ、海岸で全▼モデルが
ヨガのポーズを披露
する「♣のヨガ」など、
現在では考えられない
お色気企画も数多く放送された。
中でも、1975(昭和50)年から11年も
続いた月曜イレブンの「♣の報告書」は、
番組を代表する名物コーナーとなった。
カルーセキ麻紀や
風俗ライターの いそのえいたろうが
リポーターを努め、トル■風呂(ソー◆ランド)、
ピンサ■、S▼をはじめ、獣♣、ス♠ッピング、
ラブホテル事情など、セッ♥スに関連した様々な話題を、
時に真面目に、時にユニークに取り上げた。
テーマ曲として流れたポール・モーリアの
『オリーブの首飾り』も記憶に残る。
80年代に入ると、読売テレビ制作の『秘湯の旅』が
登場。これは ”うさぎちゃん” と呼ばれたシロウトっぽい
女の子が、露天風呂に浸かり、▲で温泉の効能を紹介する
というライトなお色気コーナーだった。
うさぎちゃんの
♥ード目当てに、動くヌー♥雑誌よろしく、親に
隠れて、こっそり番組を観ていた青少年たちも
多かったはずだ。
こうした お色気要素が、クローズアップされる一方で、
世相に切り込む社会派のリポートや、UFO・超能力
特集なども 番組に欠かせないコンテンツとなって
いった。
巨泉が、競馬、釣り、マージャンなど得意の
レジャーを紹介した、非お色気路線の金曜イレブンの人気も
高かった。
一時は「ワースト番組」「俗悪番組」「エ■ブン
PM」などと呼ばれ、PTAや世間から叩かれたが、
エ■も笑いも社会派ネタも詰め込んだ 大人のバラエティ
番組として、結果的に
24年半も続く長寿番組となった。
番組を立ち上げたのは、『光子の窓』や『ゲバゲバ90分!』を
世に送り出した伝説のテレビマン・井原高志と、初代プロデューサー
となった、後藤達彦。それまで、視聴率的に不毛だった
深夜の時間帯を開拓した『11PM』の
意義は大きい・・・。
備考:この内容は、
2022-1-25
発行:辰巳出版
「タツミムック
日本懐かしテレビ大全」
より紹介しました。