「BTTF デロリアンの博士」
冷静なつもりではいても、やはり興奮していたのだろう。呆然と歩き、タイム・
マシンに戻って、はじめて落ち着いた。やり残したことはないだろうか? それは別に
なかった。目的は、達したのだ。だが、取り返しのつかないことをやってしまったのでは
ないかとの、恐れに似た感じはあった。もっとも、これは、禁断の行為だとの先入観
のためかも、しれない。
エヌ博士はボタンを押し、始動させた。いずれにせよ。
ついにやったのだ。この満足感はあったが、同時に不満もあった。何事も
起こらないではないか。自分は消失せず、宇宙も崩壊しないようだ。○したのは絶対に
他人ではなかった。自分は幽霊なのだろうか? とふとこう考え、体をつねった。痛い。
いたがる幽霊だの、ボタンを押せる幽霊などはありえない。それなら普通の人間だ。
現代に戻り、タイム・マシンから出たら、よく検討し直して、世界に発表する
ことにしよう。一大発見であるに違いない。会社からは、重役でありながら、なんと
言うことを、と、怒られるかもしれない。しかし、それも許されるだろう。この通り、
なんということもなかったのだ。コロンブスの功績どころの騒ぎではあるまい。
どんなに称賛されることだろう。だが、なぜ変化が起こらないのかの、点はわからない。
それは、その専門の学者たちが裏付けてくれるだろう・・・。
「ケージに閉じ込められたネコ」
エヌ博士は、胸の高鳴るのを感じた。しかし、その高鳴りは、なかなかおさまら
なかった。いくら待っても、マシンの計器が、現代への到着を示さないのだ。計器の見方は
まったく知らないのが、あきらかに不規則、不統一を感じさせる針の位置だった。どうなった
のだろう?
博士は不安を感じ、ドアにかけより開けようとした。しかし、開かない。頭に血が
集中してきた。行為の結果は、これだったのか? こんな報いを受けるとは・・・。
タイム・マシンは動きを止めたのか、内部は静かだった。
だが、博士の頭の中では、騒音が響き渡っていた。出してくれ! 出してくれと、
大声でわめき、体当たりもした。しかし、ドアは開かない。
博士は興奮し続けようとした。こんな状態で冷静になったら、それこそ絶望
しかない。拳銃を打ち尽くしたことを後悔した。一発は残しておくべきだった。
意地悪いことに、冷静さが襲ってきた。それは氷のように恐ろしく、例えようも
なく孤独だった。いつまで この感情と共に、いなくてはならないのだろう?
だが、まもなく博士は笑い出した。落ち着いてドアを見ると、鍵のダイヤルの番号が
違っていたのだ。開かなかったのも無理はない。やはり、神経が過敏になって
いたためだろう。
番号を正しく合わせると、ドアは開き始めた。これでいいのだ。計器が何かで
狂っていたのだろう。博士はほっとして外に出た。
しかし、博士はあわてて目を覆い、マシンに戻ろうとした。戻るべき現代とは
あまりにも違っていたのだ。何もない世界。
「ウユニ塩湖」
振り向いて急いで、マシンに駆け込もうとしたが、それも出来なかった。タイム・
マシンはなくなり、不透明な壁があるばかり。何で作られているのかは、わからないが、
突破できない壁なのだ。博士はそれを叩き、助けを求めた。こんなところに放り
出されては、どうしようもない。
叩き、叫び続けていると、誰かが、後ろから呼びかけた。
「だめですよ。いくら じたばたしても。決してここからは出られません。
すでに何回もやってみました。」
振り向いてみると、そこに2人の男が立っている。エヌ博士は言葉もなく、
その2人を眺めた。なんでここに2人の男がいるのだろう? そして、この世界にいるのは
それだけで、あとは何もない。
「ここは、どこなのです? あなたは、なぜここに・・・?」
やっと、博士は口ごもりながら言った。2人は苦笑いしていたが、その年長の方の
1人が答えた。
「あなたも、おやりになりましたな?」
「ええ、やりましたよ。しかし、ここはどうなっている場所なのです?」
「不透明な壁に囲まれて、どこへもいけません。しかし、飲み食いはしなくても、
いつまでも○なないようですよ。現に私達は、だいぶ前から、ずっとここに居ますが、
少しも歳を取りません」
「いったい、あなたはどなたなのです?」
「バットマン・秘密地下駐車場」
「私は、タイム・マシンを完成した者です。だれも機会があると、この行為の誘惑に
負けるもののようですな。私は、抑えきれなくなり、ここへ来ました。
これは、私の第1の助手です。しばらくあとで、やはりここへ出現しましたよ」
相手は、苦笑いを続けながら説明した。しかし、博士には知りたいことが山の
ようにあり、その最大の点を質問した。
「なぜ、こんな場所があるのでしょう? そして、ここはどこなのです?」
「私も、いろいろ考えてみました。時間については、充分な知識があり、それを考える
時間も充分にありました。その挙げ句、やっと1つの結論を得ましたよ」
と、またも苦笑い。
「何なのです? 教えて下さい」
「つまり、術語や計算を省略して、簡単に言えばですね。時間のクズ籠とでも
称すべきものですよ。おわかりでしょうか?」
もちろん、エヌ博士には、よくわかった・・・。
備考:この内容は、
平成17-9-1
発行:(株)新潮社
著者:星新一
「天国からの道・禁断の実験」
より紹介しました。