第1章で、述べた邦画の凋落的な現象を徐々に、覆していくきっかけとなるのが、TV局
の映画製作であった。もう1回、整理しておくなら、80年代後半から90年代にかけて、団体
動員前売り券システムにより、邦画の信用度は、地に落ちた。
本来、中身勝負で、出版との連動を、宣伝の基軸にし、興行のエポックを築いてきた角川映画
までもが、この団体動員大作のワナに陥った。孤高の道一筋に、ダイナミックなヒットを切り
開いていた、伊丹作品は、93年に終焉した。この時期の頼りは、実にプログラムピクチャー最後の
「とりで」である寅さんシリーズ、ジブリの強力アニメ、そして『ドラえもん』などのアニメであった。
これら以外、一握りのプログラムピクチャー、年に数本程度公開された大作の類を
除いて、邦画の生命線は、なかったのである。とくに、実写の邦画が、若い世代から、まったく
そっぽを向かれた・・・。
こうした状況下、テレビ局は、製作のイニシャティブを握り始め、ヒット作を継続的に
放っていくのである・・・。
【フジテレビの場合】
フジテレビの映画第1弾は、1969年公開の『御用金』であった。同年には、『人斬り』も
制作した。今から40年近く前になるが、実を言えば、そのころの映画界は、すでに”斜陽”の
真っ只中であった。しかし、映画大手5社は、いまだ健在であり、71年の日活の路線変更、71年
に大映倒産があるにしろ)、テレビ局の映画製作など、歯牙にもかけない状況だった。
フジテレビの映画製作の最初が、時代劇であったことは、注目していい。この下敷きに
は、当時、人気を博していた、テレビ時代劇『3匹の侍』があったのではないかと思われる。
『御用金』の監督は、このテレビ時代劇『3匹の侍』の、過激な演出で、人気を得たフジテレビ
のディレクターである五社英雄だった。殺陣の演出には、特に定評があり、人を斬る際、
に出る音は、リアルな迫力があった。
『3匹の侍』は、松竹で、映画化もされているが、この時は、フジテレビの製作ではなく、
松竹の単独の製作になっている。この当たりに落ち目であったとは言え、当時の映画大手
の力が垣間見える。
フジテレビは、映画製作第1弾にあたり、局の実力ディレクターの演出手腕を映画に
生かそうとしたと考えられる。五社が、その後、フジテレビを退社し、映画の監督として東映の
一連の作品などで、自立していくのは、周知のとおりだ。
フジテレビは、映画への参入にあたり、人気ドラマを、直接ではないにしろ、それを、下敷き
にしていたところが、非常に興味深い・・・。
備考:この内容は、
2007-11-29
発行:(株)ランダムハウス講談社
「日本映画のヒット力」
より紹介しました。