赤川次郎「たとえば風が」...その1 | Q太郎のブログ

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カムカムエヴリバディ>雪衣さんが「雉真雪衣」に! 勇との息子も登場「やっぱり妻の座に」(MANTANWEB) - Yahoo!ニュース

 

 

 

【プロローグ】

 

 その娘は、深々と頭を下げたまま、よろしくおねがいします。と言って、それから顔を上げた。

 

 ちょっと、ずんぐり型の体つきだが、それは着ているもののせいで、そう見えるのかもしれな

 

かった。

 

 

 

 ともかく、あまり「スマート」とは、縁のない印象の娘だった。

 

 

 

 その代わり、この仕事に必要な、丈夫さ・・・文字通り、真の強そうな、しっかりした骨格、肉付き

 

のいい腕や足、太い指などに恵まれている。

 

 

 

 化粧っ気のまるでない丸顔は、よく日焼けして、それも、海岸で寝そべって焼けたというのとは

 

まるで違う、よく染み込んだ焼け方であった。

 

 

 

 クリクリした目は黒く、濡れたように光っていたが、およそ、色っぽさとは無縁で、強いてたとえ

 

れば、主人が棒を投げてくれるのを、心待ちにしている忠実な飼い犬の目、といったところだ。

 

 

 

 それでも、可愛い。という印象を与える程度の顔立ちではあったが、と言って、どんな仲人口で

 

も、「美しい」とは言わずに。まず、「とても、気立ての良い働き者で」と言う説明をするに違いなかった。

 

 

 

 八木原亮子は、その娘が気に入った。

 

 

 

 自分の、第1印象は、外れたことがない。・・・これが、八木原亮子の自慢である。

 

 

 

 もっとも、外れた方は、忘れているのだという意見も、ないではなかった・・・。

 

 

 

 銀縁のメガネの奥で、細い目が柔和な、光を見せていた。

 

 

 

 亮子のことを評して、大抵の人は、

 

「良家のお嬢様が、そのまま年齢を取ったような・・・」

 

と言う。

 

 

 

 もちろん、70年の人生で、気楽なときばかりでは、なかったはずだが、たしかに、その世評を納得

 

させるものがあるのは、おそらく、「苦労しなかった」のではなく、「苦労が人柄を変えなかった」

 

のだ。

 

 

 

 

年配の女性は編み物をしたロッキングチェア - 60代のストックフォトや画像を多数ご用意 - iStock

 

 

 亮子は、もう30年近く愛用しているロッキングチェアに収まって、広い窓から射して来る、

 

暖かい初冬の午後の光を浴びていた。

 

 

 

 その様子は、正に、一幅の絵で、亮子が口をきいたり、動いたりするのが、なんだか奇妙にすら感じ

 

られるのである。

 

 

 

 八木原亮子は、その娘が気に入った。

 

 

 

「・・・名前は、何と言ったかしら?」

 

と、亮子は言った。

 

 

 

「はい」と、娘が応える。『山中千津』です」

 

「ちづ?『千の鶴』ですか?」

 

「いえ、『づ』は、さんずいの・・・『津市』の『津』です」

 

「ああ、わかりました。・・・おいくつ?」

 

「19歳です」

 

「そう」

 

 

 

亮子は、使用人を雇うにあたって、あまり、身元だの、家族だのを、調べない主義だった。

 

 

 

 もちろん、この屋敷には、かなりの金目の物がたくさんあるが、何と言っても、現金は、そうそう

 

置いてあるわけでもないし、宝石の類は金庫に収まっている。

 

 

 

 そして、本当に値打ちのある、絵画や装飾品の類は、ちょっとした、泥棒が持ちだしたところで、どう

 

なるというものではない。

 

 

 

 それに、亮子は、常々、危惧の念を表明する佐伯に、

 

「どんな人だって、その親類縁者まで調べれば、1人や2人、おかしな人がいるものですから

 

ね」

 

と言っていた。

 

 

 

 問題は、当人で、そこさえ、しっかり見ておけば、全く心配はない、というのが、亮子の持論だった

 

のである。

 

 

 

 

 

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「じゃあ、千津さんと呼びますね」

 

 

と、亮子は言った。

 

「はい」

 

と、娘は、首をすぼめるような格好で、頭を下げた。「ただの『千津』で結構です」

 

「それじゃあ、なんだか犬か猫みたいだわ」

 

と、亮子は笑って言った。

 

 

 

その笑い声には、いわゆる大家の奥様風の、もったいぶったところはない。・・・この笑いが、

 

亮子と初対面で、緊張している者の気持ちをほぐしてくれるのだった。

 

 

 

「仕事は、色々あるから大変よ」

 

と、亮子は言った。

 

「はい」

 

「古い家ですから、とても広いしね。私が、少し手足がきかなくなって来ていますから、その

 

面倒もみていただかなくてはいけないしね・・・」

 

「はい」

 

「食事の支度は、長男の嫁の康代さんが、やってくれます。でも、色々忙しいし、買い物1つだって、

 

大変ですからね。できれば、手伝ってあげて頂戴」

 

「はい」

 

「お掃除、洗濯・・・。それだけでも、ずいぶん時間を取られると思いますよ。慣れるまでは何度でも

 

聞いていいのよ」

 

「はい」

 

山中千津は、いちいち、顎を引いて、こっくりと頷きながら返事をする。

 

はい、という言葉の響きが、亮子の心を捉えた。

 

 

 

 こんな風に気持ちよく、「はい」と言える人は、若い人の中には、珍しいのじゃないかしら?と

 

思った。

 

 

 

そう、。これだけでも、いい子だということはわかる・・・

 

 

 

「じゃ、よろしくお願いしますよ」

 

 

と、亮子は言った。

 

「はい」

 

と、千津は、もう1度頭を下げた。

 

「こちらこそ、よろしくおねがいします・・・」

 

 

 

 

 

備考:この内容は、昭和59-5-31

発行:(株)角川書店

著者:赤川次郎

「たとえば風が」

より紹介しました・・・。