期間 1975(昭和50)年51月~1982年(昭和57)年4月
曜日/時間 土曜 21:00~21:54
主な出演 丹波哲郎、若林豪、原田大二郎、倉田保昭、岡本富士太、伊吹剛 など
【香港カラテシリーズの襲撃 大人テイストの社会派刑事ドラマ】
『全員集合』で、腹の底から笑い尽くした後、午後
9時からは、落ち着き払った大人の時間の到来だ。
『Gメン'75』は、、数ある刑事ドラマの中で、ひときわ
大人感が強かった気がする。
新人刑事が
やたら、走り回る、体育会系な
『太陽にほえろ!』とは、極めて対照的と言える。
黒木啓司(のちに警視正)指揮の元、
警視庁から独立した”警察の中の警察 ”と、
呼ばれる特別潜入捜査班。「Gメン」に所属する「熱い心を強い意志
で包んだ敏腕刑事たちの活躍を、ハードボイルド
タッチで描いた群像劇。巷で発生する、○人事件や
銀行強盗なども扱うが、所轄の枠を超えた麻薬の密輸、
といった国際犯罪や、政治家や官僚たちが絡む汚職
事件、広域○○団との対決など、スケールの大きい
事件を中心に描かれるが、本作の特徴だった。番組
がスタートした1975(昭和50)年前後、と言えば、
ベトナム戦争の集結、沖縄本土復帰に絡む在日米軍
基地問題、反体制組織、などの暗躍で、相次いで発生し
たハイジャクやテロ事件、ロッキード事件を代表
とする高レベルの政治家や、大企業が絡む疑惑事件
など、大規模な事件や国際問題が新聞紙面を賑わして
いた。いずれも、庶民の関心は高く、(小学生だった
筆者でさえ、「証人喚問」なんて言葉は、いつのまにか
覚えてしまっていた)、それらを、反映したかたちで、生まれた
ドラマが「Gメン'75」である。
まず、何と言っても驚かれたのは、オープニング
だ、『仮面ライダー』などの、劇伴で、知られる菊池俊輔
作曲の、テーマ音楽が流れる中、広い滑走路(撮影され
たのは、海上自衛隊館山基地ほか、都内の一般道も
使われたとか)を、黒木警視役の丹波哲郎を中心に、
横一列に並んだ、メンバーたちが、ゆっくりと、
爽快と歩いていく映像は、まさに大人の時間の始まりを
告げるかのようだった。そしてそこには、それまでの、
泥臭いイメージの刑事ドラマとは、一線を画す高級
感と、飛行場から連想される国際性が、本作なら
ではの色となって現れていた・・・。
名物となったのが、香港カラテ
シリーズだ。麻薬や拳銃の密輸などで、
暗躍する闇の組織の摘発を目的に、
Gメンの刑事たちが香港へ飛び、組織
が送り出すカラテ使いの刺客らを、
相手に、迫力のカンフーアクションを
繰り広げた。放送当時、ブルース・リーの
『燃えよ、ドラゴン』に端を発し、カンフー
アクションブームが、日本を席巻していた
ことに、着目した企画だが、草野刑事が演じる
”和製ドラゴン”こと、倉田保昭
による、香港仕込みによる本格アクションは、
衝撃だった。
特に刺客役の常連で
筋肉ムキムキのスーパー・ボディ姿の
ヤン・スエとの対決は、もはや、
刑事ドラマを超越していた。
この他、事件は解決するも、モヤッとした空気
と切なさを残し、エンディングを迎える回など、
多彩な脚本家人による、クセのあるエピソードが
散りばめられていたのも、本作の魅力だった。しかし、
1980(昭和55)年頃になると、マンネリ化も
みられ、過激なタイトルに頼る傾向が顕著になる。また、
裏番組『池中玄太80kg』の台頭もあり、
『Gメン'75』は、1982(昭和57)年に膜を閉じた。
しかし、半年後、放送枠を日曜午後8時に移し、
『Gメン'82』となって復活。引き続き黒木警視正の元、
早坂警部補(篠田三郎)、澤田刑事(清水健太郎)ら、
若手メンバーが加入。香港カラテシリーズも
取り入れて、新生Gメンをアピールした。しかし、大河ドラマ、
『西武警察Part2』 『久米宏のテレビスクランブル』など、
強力な裏番組の前に、半年間で
打ち切りという、寂しい終焉を迎えたのであった・・・。
備考:この内容は、2022-1-25 発行
「日本懐かしテレビ大全」
よち引用しました。