運のしくみ | Q太郎のブログ

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パクリもあるけど、多岐にわたって、いい情報もあるので、ぜひ読んでね♥
さかのぼっても読んでみてね♥♥




 

 努力する人にしか運は来ないのである。




 野球でもそうだ。初回に大量点を取られて、この試合は棄てようと、監督もコーチも


選手も思い込んでしまったら、挽回は不可能である。




 あきらめずに一点ずつでも返していこうと必死になって戦えば、選手の気持ちが観客に


伝わって、小さな拍手が大歓声に変わり、それに励まされて努力するうちに、逆転の運も


向いてくるのである。




 3点リードされていても、満塁ホームランが飛び出せば勝てるが、だらけた気持ちで


試合をしているうちに3点が4点になれば、満塁ホームランでも同点でしかなく、5点に


なると敗色濃厚になってしまう。




 政治や行政の「前向き」は、その場しのぎの言い逃れに過ぎないが、われわれ一般市民


の前向きとは、ひたすらなる努力をして、前方にある数々の障害を乗り越えていく働きを


意味するのである。




 ヤル気を起こして、仕事に強い関心を示し続けるから、あるところへ来ると、急に


加速する。それを運と呼ぶ。明確な原因がつかめないのだが、ものごとが突然変異して良い


方向に進んでいく時の状況を、運という言葉で表現する。









 いま、この部分の原稿を、天草島の本渡市から熊本市へ向かう車中で書いているが、


午前10時前で、しかもかなりの雨降りであるにもかかわらず、パチンコ屋の前に長い行列が


できている。一瞬、今日は日曜日かと錯覚したが金曜日である。本日開店でもなさそうだ。




 台の前に座れば、世間に背を向けたような形でタマを弾き始めるのだろうが、どうして


こんなに早くから並んで待っているのか、私のようにパチンコ屋に入ったことが一度も


ない人間にはわからないが、聞くところによると、前の日によくタマが出た台を占領する


のも理由の一つであると言う。




 前日の運をもらいたいというのがあるのかもしれないが、賭博の運ほど当てにならない


ものはない。たとえ運が良くてたくさんの賞金を得たとしても、しょせんはあぶく銭


であるからだ。




 つまり、努力した過程でついてきた運は、たとえ足を引っ張る連中が出てきても、


いつかは結果に拍手を送ってくれるようになると確信することができる。努力した真実の


ほうが勝つからだ。




 もし運がついたら、人には黙っていたほうがいい。他人が何かをすると、悲しいかな


人間には、ねたみ心があるのだ。運は自分ひとりの胸のうちに収めてニヤリとしていれば


いい・・・。














備考:この内容は:1997年3月31日発行 三笠書房

鈴木健二著 「壁にぶつかった時読む本」より紹介しました。