伊良部秀輝投手
死去 [編集]
2011年7月27日、ロサンゼルス近郊の自宅で、○を吊った状態で死亡しているのが発見された[7]。彼は7月24日を最後に人前から姿を消しており、24日から27日の間に死亡した模様。42歳没。地元の警察の捜査では自殺とされている[7]。自○理由としては、前記の通り『SUPER UDON』が経営不振となり閉店したこと、死の1ヵ月ほど前から妻子と別居状態が続いていたこと(既に離婚していたとする説もある[8]が、伊良部の妻はこれを否定しているという)などで、精神的に追い詰められていた事情が指摘されている[9]。 また、伊良部自身は引退後、故郷の日本で指導者の道を希望していたが、彼を実際に指導者として受け入れる球団はなく、解説者や評論家の道も閉ざされており、野球人としての将来に不安を抱いていたとする指摘もある[10]。 28日には友人や関係者によって自宅前に献花台と焼香台が仕立てられ、『阪神タイガース有志一同』などの献花[11]や、阪神ファンによるものと思われる阪神タイガースの帽子が供えられた[12]。29日にはニューヨーク・ヤンキースが試合前に黙祷を捧げ、伊良部がメジャー初登板初勝利を挙げた試合で捕手を務めたジョー・ジラルディは「一緒にいて楽しい、よきチームメートで、何度も好投してくれた。旧友を失うのはつらい。彼にも子供がいるし、悲しいことだ」と語り、デレク・ジーターは「言葉の壁はあったが、周囲が思う以上にいろんなことを理解する楽しい男だった。悲報を聞いたときは言葉を失った」と語った[13]。阪神タイガースも30日に横浜ベイスターズとの試合前に黙祷し、ユニフォームに喪章を着用してプレーした[14]。同日、千葉ロッテ・マリーンズも、東北楽天ゴールデンイーグルスとのゲーム前に黙祷し、球場の大型ビジョンに往年の雄姿を映し出した。阪神時代の監督であった楽天監督・星野仙一らも黙祷に参加した[15]。
日本最速投手の1人として [編集]
「日本プロ野球史上最速の投手は誰か」といった議論の際に、必ずといって良いほど名を挙げられる投手である。1993年の5月3日の西武戦(西武球場)で清原和博と対戦した際の158km/hは日本人投手が日本国内の球場設置のスピードガンで計測したものとしては最速のものであった。2005年にマーク・クルーン(記録時:横浜ベイスターズ)が159km/hを記録するまで、山口和男(記録時:オリックス・ブルーウェーブ、現・オリックス・バファローズ)、五十嵐亮太(記録時:東京ヤクルトスワローズ)らと共に日本プロ野球最速タイ記録を保持していた(2010年8月29日に神宮球場で由規(東京ヤクルトスワローズ)が国内日本人最速の161km/hを記録し更新)。1994年7月19日のオールスター戦(西武球場)で読売ジャイアンツの松井秀喜と対戦したときに159km/hも記録しているが、公式戦ではないので除外されている(球速には公認記録や公式記録といった扱いはない)。
二度目の現役引退後、2010年9月19日に放送されたクイズタレント名鑑では133km/hを計測した。
速球が武器であったが、それに頼っていた投球スタイルは年を重ねると共に変化していった。無骨に見えて理論派である。ロッテ時代の先輩であった牛島和彦も「投球フォームの腕を上げる高さから足を下ろす位置、それによる球の軌道までをミリ単位といえる細やかさで考えているのが伊良部という投手」と語っている。
引退後の「江夏豊」投手
現役を引退した後は、日本テレビ及び朝日放送解説者、東京中日スポーツ評論家を務めた。その傍ら、映画、TVドラマ、バラエティ番組に出演するなど、タレント・俳優としても活動していた。
1993年3月3日、覚醒剤所持の現行犯で、覚せい剤取締法違反により逮捕される。覚醒剤の所持量が多かったため、初犯ながら懲役2年4ヶ月の実刑判決を受け静岡刑務所に服役、名球会からも退会した(これについては自主退会とも、金田正一会長による除名とも言われている。現在は復帰)。1995年4月27日に仮釈放され、出所後は野球解説者・評論家に復帰した。
刑務所の規則に従っての生活で健康状態は劇的に改善し、本人も出所後、法廷での弁護に立った野村克也や江本孟紀、衣笠祥雄ら友人達への感謝の言葉と共に、「もし刑務所に行っていなかったら、僕はもう死んでいたかもしれない」と語っている。作家の安部譲二は、「あの傲岸不遜だった男が、帰ってきたら物凄く気配りができるようになっていた」「刑務所に入ってまともになって帰ってきたのは山本譲司と江夏だけ」と、収監前後の江夏の変化を述べている。また江夏は、出所して自宅に戻ってきて一からやり直す決意として、現役時代に獲得した数々のトロフィーなどを全て捨ててしまったと『いつみても波瀾万丈』にゲスト出演した際に話している。
現在はテレビ大阪解説者を務めており、判りやすく明晰な技術論で高い評価を得ている。選手を君付けで呼ぶ野球解説者の走りで、これは野球選手という職業へのリスペクトからであると本人は語っている。また、週刊プレイボーイ(集英社)で『江夏豊のアウトロー野球論』を連載中。2007年まで週刊ベースボール(ベースボール・マガジン社)で『江夏豊の球界にんげん交遊伝「球人蔵」』も連載していた。
マスターズリーグ・東京ドリームスに在籍し、モルツ球団にも所属している。
備考:この内容は、Yahoo!、Googleより、検索しました。
かえるさんのリクエストにより、紹介しました。