VOL.13 傷 | Q太郎のブログ

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パクリもあるけど、多岐にわたって、いい情報もあるので、ぜひ読んでね♥
さかのぼっても読んでみてね♥♥


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VOL.13 傷


March.2005



 今日履いてきたジーパンもエンジニアスーツも、買ったばっかりだったけど、


けっこう傷はたくさんついている。最初からそうなってるものを選ぶって


いうのもあるし、ブーツなんて、わざとテーブルの下でガンガンこすった


りするからね。まっさらなエンジニアスーツほど恥ずかしいものって


ないじゃん。まったく自分のものになってないっていうか・・・。




 学校に行ってたころなんて、早く痛んだ感じにしたくて、靴も服も


果てしなく同じものを続けて身につけていたからね。



 着るものでも家具でも、シミは嫌だけど、傷は全然気にしない。あ、


クルマは別だと。所有物としても傷がついているものは嫌だし、車体を傷


付ける時って対象物があるわけだから、それはやっぱり避けたいよね。



 体にも傷を作ることはかなり多いほう。だから消毒薬、消炎剤と


鎮痛剤の軟膏、絆創膏・・・気づくといつも当たり前みたいにカバンのなかに入って


いる。とくに頼りにしてるのは海外に住んでるサーファーの友達が送って


くれる軟膏。南の島に波乗りに行って、カキとフジツボで、ヒザ、ヒジ、


手のひら、足の甲がズッタズタ・・・なんてことがあったけど、この軟膏が


あったおかげで、キレイに治ったからね。



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 ドラマや映画の現場でも薬の出動率は高くなる。アイスホッケーのとき


も傷は耐えなかったし、映画の『2046」のときは額をパックリ割った。




現場で怪我を負ってしまうのはトラブルの一つなんだろうけど、誰の


責任でもないから。だからそのことで周りの人たちに気を使われるのって


嫌なんだよね。痛みは痛みとして終わってしまえばいい。気持ちの部分で


も負荷になってしまうのだけは避けたいと想う。






 ガキの頃、怪我をしても母親や周りの大人たちは「あら、大変」なんて


リアクションはしなかった。「いてーっ!」って言ってる俺の横で、


「大丈夫だよ」って、一言。一緒に騒ぐんじゃなくて、とりあえず安心感を


与えてくれる。それは表面的な傷が内面にまで影響を及ぼすのを「はい、


そこまで行かない」って食い止める”手当”だったのかもしれない。




 今も怪我をするたびに世話になってる先生がいるんだけど、そういう


意味では自分にとっても合ってる先生なんだよね。付き合いが長くて口は


悪いんだけど。撮影中に関節の膜ぶち破って、靭帯2本切って骨飛び出し


ちゃって、とにかく悔しがってる俺に、「悔しいのはね、おめえがやったん


だからしょうがねぇや。でも大丈夫。2週間後には動けるようにして


やる」って。泡食ってる心の治療を真っ先にしてくれる。その言葉を聞けたら、


「よし!」って気持ちが切り替えられて、怪我さえも次に生かして


いけそうな気分になってるんだよね。





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 外傷に関しては、自然治癒力が高いほうかもしれない。でも、


メンタルな傷はキツイ。処方箋もないわけだし。傷ついた心にも柔軟性と


筋力を取り戻す作業が必要なのかもしれない。でもどうせなら傷つく前に日頃


からストレッチやっておくのに越したことないよね。誰かの言葉に


ガーンってショック受けて心のいちばん深層に大きな傷がついてしまってから


では、回復するのも大変かもしれないから・・・。




 俺自身、人間的にも浅かった20代前半くらいの一時期は、プライベート


の時間がまったくないように感じていた。そのぶん人の言葉や視線に


傷つくことも多かったかもしれない。




 彼女が出来たとき、それを話題にされることも受け入れられなかった。


たとえば女のコとクルマ乗るってなったとき、好きな人なのに、その瞬間、


人として相対していない。人通りがあるところでは、「身をかがめて」


って言ってる自分に気がついたときは、ほんとに嫌だった。「悪いことでも


恥ずかしいことでもないのに」って。「じゃ、今はどうなの?


プライベートを追いかけられるのに慣れたの?」って言われたら、それは違う。


でも精神的な柔軟性だけはできたのかもしれない。






 こころのストレッチは、周りの友達、音楽、映画・・・。いろんなカルチャーが


手助けしてくれたんじゃないかと思うんだよね・・・。












備考:この内容は、2011-9-30 集英社 木村拓哉著 「開放区 2」

より紹介しました。