2010年6月。
第2回選抜総選挙を境に、世界は一変した。
世の中に、AKB48があふれた。誰もが、その歴史的ドラマが
生まれた瞬間と、すさまじい勢いで加速していく少女たちから目を離す
ことができなくなっていた。そしてついに、AKB48はシングル「Beginner」を
もってミリオンアーティストへと上り詰める。時代の転換点で消えた一つの灯り、
そしてまた生まれる力強い物語は、終わらない。
真・黄金時代の到来
大島優子が悲願の「前田越え」を
果たした第2回選抜総選挙は世間
にも絶大なるインパクトを与え、
内輪でのお祭りに過ぎなかった総選挙
が、それこそ若年層には、国政選挙
以上に強い興味を抱かせる「国民的
行事」へと変貌を遂げた。
第2回選抜総選挙が繰り返し
メディアで大きく報じられることで、
前田敦子と大島優子のドラマが
世間に届いただけでなく、2人以外の
メンバーの顔と名前が広く周知され
るきっかけにもなり、AKB48は
国民的アイドルとして、さらに巨大化
していくこととなる。
選挙の結果を受けて、大島優子
がセンターを努めた「ヘビーローテーション」は
大ヒットとなった。
カラオケランキングでも首位獲得記録を
更新するなど、老若男女問わず、
幅広い世代に長く愛される楽曲と
なったことは、瞬間最大風力とも
いえるCDセールスよりもある意味、
価値があるといえるだろう。
この段階では「これが人気の
ピーク」と評されたものだが、ご承知の
ように、2年近くが経過した今でも、
人気は右肩上がりを続けている。
つまり、第2回選抜総選挙こそが
今なお天井が見えない真のAKB黄金
時代の発火点だったのだ。
ここからはじまる破竹の快進撃
には、いっぺんの曇りすらも感じられない
ように思えるが、光があれば必ず
闇がある。怒涛の勢いに隠れてはいる
ものの、ここにも、「裏ブレイクヒストリー」は
存在するのだ。
・・・中略
たしかに、どんなにヲタががんばったところで、
メディア選抜に入れる
ことなんてできなくなってしまった
ことは中間選挙段階でわかって
いましたが、40位くらいならなんとか
なるんじゃないか?と石黒ヲタは
本当に懸命になっていましたね」
(研究生ヲタ)
結局、石黒は総選挙直後に
行われたセレクション審査で落選し、
AKBを去ることに・・・。
「あれだけ順位がクローズアップされ
ると、AKBに対する理解と知識が
追いついていけないマスコミ関係者
なんかは、てっきりすべてのメンバーに
順位がついていると思い込んでしまう。
実際40位までに入れなかった
メンバーは取材のたびに「今年は何位
だったの?」と、聞かれることが苦痛
で、ノイローゼ寸前になっていた
みたいですよ。
僕らも今までだったら、握手会なんかで
「悔しかったら、がんばれよ!」
と励ましてきたんですけど、ここまで
ストレートに票数が出ちゃうと
ねぇ・・・だってメディア選抜入り
するには 12000票は必要なんです
よ。これからAKB人気が増大して
いけば、さらにハードルは高くなる。
(事実、第3回総選挙ではメディア
選抜へのボーダーラインは 30000票
までハネあがる)
新しい「AKBのカタチ」
第2回総選挙の直後に突然、
卒業を発表した、”えれぴょん”こと
小野恵令奈。表向きの卒業理由は
「女優の勉強をするために海外
留学したい」だったが、実際に現場で
彼女と接触してきたヲタから見ると
「あまりにも環境が変わってしまった
AKBに対応しきれなかった」
ことが卒業の理由なのだという。
「実際にかなり追い詰められていたと
思います。2009年に まゆゆ
(渡辺麻友)と立場が逆転したんですよ。
それまでは えれぴょんが唯一無二の
妹系キャラで、そういったものを
求める層を一手に担当してきたんです
が、新たな受け皿として まゆゆが
頭角を表し始めてからは、状況は
一変したんです。
・・・中略
最近、ファンになった方はピンと来ない
かも知れないが奏明期から
AKBを追いかけてきたヲタにとって、
小野恵令奈はスペシャルな存在
で、それこそ、前田敦子、大島優子に
並ぶ重要人物だったといっても
過言ではない。
「いちばん驚いたのは紅白ですよ。
本当だったら前列で踊っていても
おかしくないはずなのに、早着替えの
ときに大島優子の衣装をはがす係りを
やらされていたんです。正直、絶句
しました」
(古参ヲタ)
夢を託されたものたち
彼女の卒業後にリリースされた
「Beginner」はAKBとして
初のミリオンヒットとなった。
握手会の開催を前提とした販売方法に
対する諸々の批判はあるとしても、
以後に発売されるすべてのシングルが
100万枚を越えるという前代未聞
のグループにAKBは成長していく。
かつて秋元康は「僕はAKBで
アイドルブームを作りたいんじゃない、
時代を作りたいんです」と語っていたが、
この時点で「社会現象」として認知
されたAKBは、確実にひとつの
時代を築き始めようとしていた。
1期生である前田敦子や高橋
みなみが初めてAKB劇場の
ステージに立ったとき、漠然と抱いていたで
あろう『100枚のヒットを
飛ばすスーパーアイドル」という夢や憧れ
が約5年の月日を経て現実のもの
となった・・・。あのモーニング娘。ですら、
ミリオンセールスは2枚しか記録
していない。今、われわれは、前例のない
アイドルグループの「奇跡」と「軌跡」を、
2010年からずっと見続けて
いられる、という非常に稀有な経験をして
いる。それほどAKBの「ブレイク」
は特別なことなのだ。
その一方で、あくまで現場での
リアルなAKB像を求めるヲタたち
は、世間的な狂騒とは一定の距離を
おきながら、どんどん研究生へと
興味の対象を移していった。
「やっぱり僕たちがAKBに求めて
るものって、突き詰めるとインタラクティブ
感なんですよね。劇場で
公演を見たりすることで、彼女たちがどんどん
成長していく姿を目撃できる。
もうこのころになると、選抜メンバー
たちは ほとんど劇場に来なくなりましたし、
もう僕らが背中を
押す時期は過ぎたな、と。あとは、その
選抜の牙城を揺るがすような
次世代メンバーたちが生まれる瞬間を
見たい、応援したいと考えるように
なっていきました。けど、残念なことに
8期生研究生に関しては、僕たちは
何にもできないまま
終わってしまいました。」
(研究生ヲタ)
すでに全員がセレクション審査に
よって契約を解除されており、
AKBの”黒歴史”の一つとして
語られることが多い8期研究生。真の
黄金時代の到来に沸く裏側で、
ひっそりと起きていた異常事態をある
ヲタは語り続ける。
「仕方がない部分はあると思う
んですよ。すでにAKBは国民的
アイドルになっていて、8期メンバーは
みんなテレビでAKBを知って、自分たち
もああなりたい、ああなるんだ」と
思って入ってきてるわけじゃ
ないですか? でも実際に僕たちみたい
なヲタが押し寄せる小さな劇場で
毎日、公演をさせられるわけです。
アイドルとはなにか、AKBとは
なにか、ということを理解する前に
不満がたまって変な勘違いが
起こってしまう。決してステージの
質が悪かったわけじゃないので、余計に
もったいないですよ。
それまでは僕たちが、教育する
側といえるかどうかはわかりませんが、
気になるところを指摘する役割を
担ってきましたけど・・・。8期に
関しては握手会もない、モバメもない、
手紙すら渡せないという
段階でどんどんメンバーが抜けていって
しまった。その様子をただ見ていることしか
できなかったのは、本当に歯がゆ
かった」
(古参ヲタ)
「7期までは、いろいろな」部分で、
AKBイズム的なものが叩き込まれて
いたと思うんですよね。
ある7期メンバーと劇場でポラを
撮る機会があったんですけど、そこに
たかみなが通りかかった。僕が
冗談で「せっかくだから、たかみなと
3ショットを撮ろうよ」といったら、
その子が激しく拒むんですよ。理由を
聞いたら「怖いから」って(笑)。
当時、たかみなは「いつ自分が
呼ばれるかわからないから」とすべての
チームの公演をDVDで見て、
マスターしていたらしいですからね。
そういう”鬼の軍曹”がいれば、組織は
やっぱり締まるんですよ。いまは たかみなも
自分の仕事をこなすだけでも
大変ですから、さすがにそこまで
目が届かないだろうし、そこまで彼女
に求めたら酷ですよ」
(研究生ヲタ)
そういった反省を踏まえた上、
万全の体制で舞台に立ったのが
9期研究生だ。
彼女たちは『有吉AKB共和国」
などのテレビ番組に積極的に出演
し、早い段階で顔と名前を売って
いった。これまでのAKBとは、
180度違ったアプローチである。
劇場を基盤として考えた場合、
これは歴史の大きな転換期になった
といえるだろう。
しかし、勘違いしてほしくないのは、
方針が変わったからといって、
けっして劇場が軽視されるようになった
わけではない、ということ。事実、
古参ヲタの多くが研究生公演に足を
運び、熱い視線を送っていた。そう、
AKB奏明期と同じように・・・。
「以前は研究生公演って出演者が
当日まで発表されなかったんですよ。
だから幕が開いて、推しメンの姿が
ないことを確認すると、そのまま
帰ってしまうヲタもいた。だけど、
それを目の当たりにしたメンバーも
憤ったり、悲しんだりすることなく、
「ほかの子が目当てだったんだから
仕方ない」とドライに割り切る子が
多かったんです。
でも、9期からはそういうことが
なくなった。そもそも9期の顔ぶれ
が発表された時点で「本当にかわいい
子が多い」 「本気で勝負に出た」と
現場は色めき立ちました。彼女たち
が劇場デビューを果たしたのは
2009年11月15日の、シングル
「RIVER」の発表を記念した
スペシャル公演だったんですが、これが
すごかった。はっきりいって、選抜
メンバーの『RIVER』よりも記憶
に残っています。私たちがやる~!という
気迫がみなぎって痛んです」
(古参ヲタ)
その中に、いまや選抜常連の一人に
まで成長し活躍を続ける、本当の
意味での次世代エースがいた。
「横山由衣がとにかくスゴかった。
目の力がとにかく強くて、ああエース
候補が入ってきたなと。タイプは
違うんですけど、初めて松井樹理奈と
面と向かったときと同じような
気持ちになったというか。よりゴリ
推しだなんだってネットを中心に
騒がれていましたけど、それって本当の
彼女を知らないからでしょ!?彼女が
誰よりもステージで汗を流していた
ことは、一度でも公演での横山を
見たことがあるヲタは全員認めていた
し、彼女がスターの階段を駆け上がって
いくことに、何一つ疑問を抱いて
いませんでした」
(研究生ヲタ)
「これは有名な話ですけど、横山は
SKEの2期生オーディションに
落ちてるんですよね。でも、あきらめ
すにAKBのオーディションを受け
て合格し、京都から夜行バスに
乗って秋葉原まで通う生活を続けて
いた。ある意味、ほかのメンバーとは
覚悟が違ったんですよ。
ある公演で、舞台に出てきたとき
から明らかに体調が悪そうだったときが
あるんですけど、それでもやっぱり、
周りの誰よりも最後まで全力で
汗をかいてやりきっている。あんなに
メンバーの姿を見て感動したのは、
本当に久しぶりでした」
(古参ヲタ)
運営のゴリ推しでスターになった
と思われてしまいがちな横山だが、
それは誤った認識で、あくまでも
劇場での 頑張りが 認められての選抜
だった。これまでの人気メンバーが
たどってきた道を、横山はどこまでも
愚直に歩んできただけの話であり、
完全に空洞化しつつあった劇場から、
まだまだ新しいスターが生まれる
可能性があることを示したことで、
ヲタたちに大いなる夢を与えて
くれたのだ。
201年10月10日。
10が3つ並ぶ100年に1回の日、
台風直撃という大荒れの天候の
中で葛西臨海公園で開催された
「東京秋祭り」のステージ上で、横山の
チームKへの昇格がサプライズ
発表され、さらには後に大阪から猛然
な旋風を巻き起こすNMB48の
初お披露目も行われた。誰もが
AKB48という確かな”時代”の
到来に酔いしれていた・・・。
備考B:この内容は、2012年3月1日発行 「ブブカ3月号」より紹介しました。