滝クリ 「生まれたときから、個人主義」 | Q太郎のブログ

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パクリもあるけど、多岐にわたって、いい情報もあるので、ぜひ読んでね♥
さかのぼっても読んでみてね♥♥


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生まれたときから、個人主義     滝川クリステル





 日本の教育は、どちらかと言うと、型にはめようとする傾向があると感じ


ていますが、フランスでは、小さなころから、個性を尊重する教育がなされ


てきました。




 私が中学生のころのこと。泊りがけの遠足に行くのに、詳細を記した


「しおり」がありません。日本の遠足なら必ず配られるはずの、「より


どころ」がないのです。


 もしかしたら、先生がしおりを作るのが「面倒」だっただけかも


しれませんが、これは人として学ばなければならない暗黙のメッセージが


込められていたような気がします。


 モチモノは自由。現地でのスケジュールの詳細は決められておらず、選択肢


がたくさんあるので、誰とどう過ごすのかを、みんなで話し合って決めて、


思い通りに過ごします。つまり、自分の頭を使って判断し、


行動することを徹底的に教育されるのです。



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 一方、日本では、どちらかと言うと協調性を養うことを最優先し、集団の


中に溶け込む教育がなされています。


 遠足を例に挙げると、日本では、つねに集団行動をするのが基本ですし、


その「和」を乱すことは許されません。モチモノは事細かく支持されており、


持っていくおやつは「いくらまで」と予算まで決められています。行く先での


過ごし方もあらかじめ決められていることがほとんど。日本の児童がもし


突然「しおり」のないフランスの遠足に参加したとしたら、ビックリするだけ


でなく、たぶん、どう判断、行動していいのか、戸惑うのではないでしょう


か・・・。




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 また、私が小さいころは、日本では給食は残さないことが良いことと


言われてきましたが、驚くことに最近では、フランスにおいては食べ物の


好き嫌いを言えることは個性的であるとの理由から、残しても特にとがめ


られることはないそうです。


 自分で自分の行動を決めるフランス式と、指示にきちんと従い、枠をはみ


出さない日本式。そのしつけや教育には、小さいころから大きな違いが


あります。




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 母は幼いころからつねに「個性を大事にしなさい」と言って私を育て


ました。服装から生き方まで、まわりにならうのではなく、自分はどうしたいかを


つねに問われていたような気がします。


 そういう母も個性的で自分に正直に生きていました。それがとても幸せ


そうに見えたので、私も個性を大事にする生き方を素直に受け入れていたのだ


と思います。





 子供の頃の習い事と言えば、親が決めたがるのが普通のようですが、


わたしは苦手な算数を克服するために自分でそろばん塾を見つけて通って


いました。おかげで算数の成績はぐんとよくなり、日本からフランスの学校に転校


した時は、暗算や計算が早かったようで、とても驚かれ鼻高々だったのを


覚えています。(ちなみに、フランスの授業では当たり前のように


電卓を使うのです!)。


 ほかにも英会話が楽しくて近所のインターナショナルスクールの子供たち


と仲良くしてみたり、運動が好きだったのでクラシックバレエや水泳、


新体操、テニスに通ったり、いつの間にか得意な科目は、数学、英語、体育に


なっていました。両親が自由にさせてくれたので、私は無意識のうちに、苦手な


ものを克服するよりも、得意なことを自主的に伸ばしていたように


思います。




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 こんなエピソードもあります。


 日本の都立高校に通い始めたころ、制服でも私服でもよい校風だった


ので、私はよくフランスの女の子が着るような、ざっくりとしたニットの


セーターと、派手な色や柄のスパッツをはいて登校していました。セーターは


ヒップが隠れない丈ですから、当然スパッツのおしりは見えています。友人


から「よくそんなにヒップを出せるね」と言われてから、さすがにちょっと


はずかしくなり、そのファッションはやめましたが・・・。




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 また、学校の部活動に参加するよりも、例えばテニススクールを探して


通うなど、放課後は自分の好きなことに時間を費やしていました。学園祭や


体育祭などの催しものなどでは、自分で作り上げることが楽しくて、積極的


に参加していました。


 今振り返ると、当時の私は「決められた枠にはまりたくない」と思って


いたのでしょう。よくいえば、かなりのマイペースだったのだと思います。


 また、日本の高校生は、グループをつくって行動したがる傾向があるよう


ですが、私はどのグループにも所属していませんでした。とはいえ、仲間


外れにされたり、孤立したりしていたわけではなく、どのグループとも同じ


スタンスで仲良くしていたのです。個人主義だけれど、誰ともコミュニケーション


を取れる協調性をもつ、それが両親の教育だったのかもしれません。


 大学に入学すると、ふつうみんなメイクをしたり、ブランドものに興味を


持ったりしますが、まわりの友人たちが眉を整えても、私はなるべく手を


加えないで、自然のままにしていました。まわりがブランドの洋服を着ても、


わたしは古くてもお気に入りのデニム。それも、母の言葉があったからだと


思います。



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 思えば、就職活動のときもまわりと同じようにという意識はなく、その


格好も、人とはまったく違うものでした。まわりが黒やグレー、紺色の


コンサバなりリクルートスーツに身を包む中、私は、オレンジ色のタートルニットに


茶色のパンツスーツ。たとえ就職活動であっても、いや、むしろ就職活動


だからこそ、自分らしくありたい、個性的でありたいと選んだものでした。


「まわりと違う」ということを恐れていなかったのかもしれません。それが


正解だったかどうかはわかりませんが、私のそのスタイルが印象に残った


と言った面接官もいたようです。




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 ひとりひとり違う存在なのだから、それぞれに似合うスタイルがある


はず。自分自身への「探究心」を持つ前に、安心だからと周りと同じ格好を


してしまうのは、もったいないのではないかと思います。周りを気にして


みんなと同じような格好を選ぶのと、自分に似合うスタイルをその都度


考えながら選び取るのとでは、生きていく上ではまったく異なる意味を持つので


はないでしょうか?自分に似合うスタイルを見つける楽しみを重ねてきた


変遷は、振り返ったときに、必ずや一本の線になって自分の糧になっている


と思うのです。










備考:この内容は、2011-7-5発行 講談社 滝川クリステル著 「恋する理由」より紹介しました。