少女の名前は御厨奈穂(みくりや)といった。病院に担ぎ込まれた男は彼女の兄で、健三という
らしい。兄妹は隣町にある親戚の家から帰る途中だった。その家の住所から判断すると、
御厨健三は花屋通りを南から北に直進してきたと考えられる。
奈穂は薄い色のついた眼鏡をかけていたが、その奥の目はしっかりと開かれていて、
知らなければ視力がないとはとても思えなかった。陶器のように肌がきれいで、立派に美少女で
通用する。
彼女からの事情聴取は、ワゴン車の中で行われた。
「何が起こったかはわかっているね」
陣内は柔らかい口調を心掛けて尋ねた。奈穂はこくりと首を折った。
「事故が起きる前のことを覚えているかい?」
「はい」
「お兄さんと何か話をしていたの?」
「いいえ、親戚の家を出たころは話していましたけど、事故が起きる前はほとんど黙ってラジオを
聞いていました」
高校2年生ということだが、一般の同年齢の娘よりも、はるかに明瞭な話し方だった。
そう、と短く答えて、陣内は次の質問を考えた。目の不自由な彼女から、何らかの情報を
得るにはどうすればいいか。
「これは君の感覚で答えてくれていいんだけど、車のスピードはどのくらい出ていたと
思う? かなり出ていたようだったかな?」
聞きながら、まずい質問だと思った。スピードがかなりのものかどうかなんてのは、個人の
主感によるものだ。
ところが陣内の反省をよそに、奈穂は意外な返答をした。
「たぶん、時速50キロから60キロの間だと思います。夜中だから、兄もスピードを
出してたみたいです。」
陣内は思わず金沢と顔を見合わせた。
「どうしてわかるんだい?」
金沢が聞くと、
「いつも兄に乗せてもらっているから、振動やエンジンの音でわかります」
奈穂は何でもない事のように答えた。
そこで陣内はさらに非常識と思える質問をした。つまり信号は何色だったと思うか?と
聞いてみたのだ。そして彼女はここでも、わかりませんとは言わなかった。
「青だと思います」自信たっぷりに答えた。
「なぜ?」
「事故が起きる少し前、兄が言ったんです。よし青だ、いいタイミングだって」
「よし青だ、か」
こういう証言はどう扱うべきなのかなと陣内は迷った。彼女自身は、青を確認したわけで
はないのだ。
彼が考えていると、「それに」
と彼女はやや声を高め、少し間をおいてから続けた。
「それに兄は、そんないい加減なことをする人じゃありません。信号を見落としたり、無視
したりするなんてこと、絶対にあり得ないんです」
実況見分を終え、事故車の移動を確認した後、陣内と金沢は御厨健三が運び込まれた
私立病院に向かった。この時、奈穂も同乗させた。友野和雄と畑山留美子は、外勤の警官が
運んでくれた。
病院に着くと奈穂の両親がいて、彼女を見ると心配そうに駆け寄った。
「お兄さんは?」と奈穂は聞いた。手術中なのよ、と母親が答えた。
陣内と金沢は少し離れた場所で待つことにした。助かるのかどうかを確認したいし、医師
から健三の血液をもらうという目的もある。アルコール・チェックのためだ。
「どう思います?」
家族たちの方を横目で見て、陣内は金沢に聞いた。
「難しいな」と主任は言った。「どちらも青だといっているが、何しろあの子の場合は目で
見たわけじゃない。障害者を軽んずるつもりはないけれども、やっぱり不利だ。」
「兄貴の供述待ちですか?」
「そういうことだ」
しかし、もし健三の意識がこのまま戻らなければ、結果的に友野たちの言い分を聞かざる
を得なくなるかも知れない。
「いずれにしても看板を立てることになりそうですね」
「そうだな。当てにはできんが」
お互いが青信号を主張している以上、目撃者を探すのが最大の解決策である。だが現場に
集まっていたヤジ馬の中に、事故の瞬間を目撃した者はいなかった。そこで現場付近に
看板を立て、目撃者が出てきてくれるよう呼びかけるわけだ。もっとも陣内の経験の範囲では、
その看板が効果をもたらしたことは一度もなかった。
「終わったらしいぞ」
金沢にいわわれて見ると、手術室から医師が出てくるところだった。医師が険しい顔で、
御厨の両親に何かいった。その声が耳に入ったのだろう。真っ先に泣き崩れたのは奈穂
だった。
つづく