私と彼女の延長戦 2 | Q太郎のブログ

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パクリもあるけど、多岐にわたって、いい情報もあるので、ぜひ読んでね♥
さかのぼっても読んでみてね♥♥

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(ヒロミ美容室)は静かな住宅街の一角にあった。住居を改築して一階部分を美容室にしたようだ。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」と笑顔の中年女性がドアを開けてくれる。オーナー兼ヒロミと


いう人らしい。ヒロミは和葉が店に入るのを確認するとドアを閉め、「本日休業」の札をそっと掲げた。その


さりげない心遣いが、今の和葉にはありがたかった。カット


 和葉を席に案内すると、ヒロミは黙々とカットの準備を進めた。そしてケープをかぶせながら、だしぬけに


「違っていたらごめんなさい」と切り出す。


 「お客さん、安良野中学3年C組だった大場和葉さんじゃありません?」mum1


 和葉の驚いた顔と沈黙が返事の代わりになったらしい。店主は顔をほころばせて名乗った。


「私のことは覚えてないかな?同じクラスだった春田・・・・・・いえ、旧姓は橘弘美です」



「あ・・・・・・」

 和葉の埋もれた記憶がよみがえる。ケープの下の腕が細かく震えた。




 橘弘美は確かにクラスメイトだった。和葉が思い出したくもない中学3年生の暗黒の日々を、同じ教室で


過ごした人間だった。毎日が恐ろしい突風あるいは不快な旋風のようなあの教室の中で、唯一最後まで


和葉をいじめなかった少女でもある。だから弘美はこんなに屈託なく声がかけられたのだろう。和葉は


自分の顔がゆがむのをどうしても抑えきれなかった。アイドル


 橘弘美。スラリと伸びた肢体と美しい瞳を持ち、スポーツがよくできた少女。いつもハキハキしており、


男女問わず人気が高かった。何をやっても勝ち続ける女だった。


 あのころ、和葉はいつも弘美の言動の端々から勝者の余裕を嗅ぎ取ったものだ。


 いくら誘われても超然とした態度を崩さず、イジメに参加しなかった。つるむ友達はいくらでもいるのに、


一人で行動することが多かった。バレンタインデーからあえて数日遅れて、人気者の彼にチョコレートを


渡したりした。チョコレートあげる♪


 イジメの連帯責任を負わなくてもだれも彼女を次の標的にはしなかったし、彼女がいくら一人でいても


友達の数は増え続けた。たくさんの女の子がバレンタインデーに先を競って手作りチョコレートで告白した


人気者の彼をかっさらったのも、結局彼女だった。


 負けてはいけない、と歯を食いしばってイジメに耐える和葉の横を、難なく手に入る勝利を掲げて


駆け抜けていく。15歳の弘美はそんな存在だった。アイドル





 和葉は42歳になった橘博美を鏡越しにこっそり観察する。mum1


 体には年相応の肉が付き、美しい瞳を覆うまぶたは重力にあらがえず眠たげだ。「なつかしいわあ」と


はじけるように笑った目元には細かいシワが寄った。けれど、体全体が健康そうに輝いていた。日々を


重ねることが楽しく、年を取ることを恐れずに済む女だけが発する滋味あふれる響きだった。


 和葉の視線が泳ぎ、レジの横にかかった小さなパネルをとらえる。写真が引き伸ばして飾っ


てあった。フォト♪


洋酒のロゴがプリントされたTシャツを着た男性とストローハットをかぶった弘美の真ん中で、可愛く髪を


編んだ小学生の女の子がピースサインを出して笑っている。絵に描いたように幸せな家族写真だ。


 橘博美、あなたはやっぱり今も、勝ち続けているんだね。ピース


 和葉は声にならない声を立てて笑った。家族と仕事、そして健康な体。ヒロミの笑顔のもとはシンプルで


最強だ。和葉が懸命に追い求め、ついに届かなかったものをすべて持っていた。






「これ、普段使い用のウィッグですよね?」花


 弘美に聞かれて。和葉は我に帰る。うなずくと、弘美は軽い調子で提案した。


「この際、思い切ってベリーショートにしてみたらどうかしら?ジーン・セバーグみたいな」


 和葉が顔色を変えて首を横に振ると、弘美は「あっそう?ざんねん」と肩をすくめた。


「大場さんはショートも似合うと思うんだけどなあ」


「ウィッグで遊びたいわけじゃないから」


 思わず声をとがらせてしまう。余裕がなく、ヒステリックで、格好悪い、そんなこと百も承知だった。けれど、


どうあがいても勝てない相手を前に「負けない」と踏ん張る気力がもう わかなかったのだ。弘美は驚いたように


ハサミを持つ手を止め、鏡越しに和葉の顔を見る。花束


「私、ガン患者だから」


 おそらく弘美が気を使って聞かなかったことを、和葉は自分から打ち明けた。開き直っていたと言っていい。


中学時代同じ教室にいたというだけで全然友達ではなかった弘美に話すべきことではないと頭では


分かっていても、口が止まらなかった。バラ


「結婚にも出産にも縁がないまま来たって言うのに、縁なんてないほうがいい病気だけビンゴ。大当たり。


まいっちゃうよ。抗がん剤の治療はキツイし、それを乗り切ったとしても大きな手術が待っているし、


そうこうしているうちに仕事を失うかもしれないし……(明日が見えない)って、きっとこんな感じなんだろうね」


 和葉は大きく息をついて挑むように弘美をにらんだ。同情でも憐憫でも好きなだけはなってくれたらいい。


負けっぱなし人間のことなんて、あなたにはわかるまい。ひまわり


 しかし、弘美はその顔に同情も戸惑いも優越感もあらわさず、ただ静かに言った。


「(明日)は来るよ。だって、大場さんは生きてる」


「敗者としてね」


 和葉が吐き捨てるように混ぜ返すと、ハイシャ?と弘美は心底不思議そうに首をかしげた。


「勝ち負けとか関係ないんじゃない?これからしかるべき治療を受けて生きて行こうとしている大場さんの


人生は、丸ごと大場さんのモノなんだから」花


「人と比べても仕方ないって?」


 和葉の目に涙がにじんだ。長女A


「それは勝ってる人が言うから様になる。負けてる人が言ってもただの負け惜しみよ。だから今の私は


言えないし、そうは思えない。健康な人がうらやましい。家族のいる人がうらやましい。仕事を続けていける


人がうらやましい。そういう人たちと今の自分を比べては(負けた)って思う。こんな気持ち、橘さんには


わからないでしょう?(負けたくない)(勝ちタイ)ってみすぼらしいくらいにこだわることでやっと生きてこられた


弱い人間の気持ちなんて、勝ち続けてきたあなたにはきっと一生わからないよ!」三女A


 すると弘美は苦しげに顔をゆがめ、ゆっくり首を横に振った。


「わかるよ。だって私もそうだったから。幸せそうな人がうらやましくて、恨めしくて、自分がみじめで……


うん、私もものすごく勝ち負けを気にしていた」





 いぶかしげに見返す和葉を置いて、弘美はレジの横へ歩いていくと、パネルを外して戻ってきた。「私の娘」と


真ん中の小学生を指す。ピース


「未熟児で生まれてきてね……小さいころはいろいろ手がかかって大変だったけど、成長とともに少しずつ


丈夫になってくれて、小学校に入ってからは身長もぐんぐん伸びだして、わたしも主人もずいぶんホッと


したわ」


 弘美はそういって、パネルの上から愛しそうに写真の娘を撫でた。フォト♪


「パンツよりスカート派で、髪の毛は肩より短くしたことがなくて、毎朝私が結んでやらなきゃいけなかった。


そういう手間も女の子の親だから味わえることだと思えばうれしくて、長い髪にブラシを入れながら、


この子はどんなお姉さんになっていくのかな?どんな恋をするのかな?どんな仕事を選ぶのかな?なんて


いろいろ妄想したりして……あの子に未来が来るのは当たり前だと思っていたんだけど……たった10年


だったな」花







「10年?」


 和葉は思わず聞き返してしまう。弘美はうなずき、パネルをぎゅっと抱えた。


「娘は4年前に交通事故で亡くなったの。これは3人家族の最後の写真」救急車


 和葉はかける言葉もなく、パネルの写真を見つめる。ついさっき(絵に描いたように幸せそうな写真)と


妬んだものが、今は取り戻せない時間のせつない記録へと印象を変えていた。そんな自分の身勝手さが


申し訳なくて、うつむいてしまう。長女A


 弘美はゆっくり立ち上がり、パネルをレジ横へ戻しに行きながら、「明日が見えない」と言葉をつないだ。


「あの子が死んでから2年間、私もそう言い続けていたよ。実際は明日もあさってもちゃんと来ていたのに、


見えないフリをしていた。美容室も閉めたし、娘の部屋も片付けなかった。そんな私を心配し、前へ進むよう


勧めてくれる人たちを恨みさえしました。夫、娘の友達、美容室のお客さん、みんながみんな10歳で時を


止めた娘を忘れ去っていく気がして、自分と娘だけが幸せな未来から取り残された気がして、悔しくて


悲しかった。街を歩けば親子連れの姿が目に飛び込んできて、わが子と一緒に年を取って行ける人たちが


ひたすらうらやましかった。ただただ、うらやましかったんだ。」


 兄時の私はとことん負けていたと思うよと言って、弘美はレジにもたれた。


「・・・・・・過去形だね」長女A


 和葉がつぶやく。弘美は大股で戻ってきて和葉の後ろに立つと、鏡越しに目を合わせた。


「過去形になった理由は娘の卒業式よ。私と夫で娘の代わりに出席したの。いろいろ葛藤はあったけど、


思い切って・・・・・・。そしたら卒業証書を持ったあの子のクラスメイト達が私の前に来て、2年間、


どれだけ娘を思い、娘の分までどうやって生きてきたかってことを、一人一人誇らしげに報告してくれたの」


 マラソンを完走した子がいた。美術展覧会で入選した子がいた。学校を一日も休まなかった子がいた。


 そして、天国に行った親友を心配させないよう、毎日を笑って過ごした子がいた。女の子


 「その時初めて、娘の突然の死で明日が見えなくなったのは、私だけじゃなかったんだって知ったの。


みんな苦しんでくれていた。悲しんでくれていた。それでもとにかく生きることで自分から明日を迎えに行った


子供たちを見て、私もやっと歩き出す決心がついたんだ。人生に勝ち負けなんてないって心から思ったのも、


その時よ」ランドセル


 弘美は注意深く和葉のウィッグを整えながら言う。


「だって人生には必ず延長戦がある・・・・・・いや、違うな。むしろ人生は延長戦そのものって気がする。


勝ち負けをどこで決めればいいかなんて誰もわからない。永遠の延長戦」


 だから、最後の日までとにかく生きる。自分が納得して満足できるように生きるんだ。ひまわり


 弘美はきっぱり言い切った。それは弘美がつらい経験の中で何度も自分に言い聞かせた言葉なのだろう。


 真実だけが持つ切実な説得力があった。


「似合うなら……ショートに・・・・・・してみようかな」カット


 和葉が弘美を仰ぎ見て言うと、弘美は「絶対に合うよ」強くうなづいてくれた。mum1





 カットを終えた弘美がハサミを置く。鏡の中には、和葉が生まれて初めて見るベリーショートの自分が


いた。悪くないな、とうぬぼれてみる。軽くなった頭を振って「風通しがいいね」というと、弘美は微笑んだ。


「そうでしょう?ウィッグをベリーショートにしておけば、脱毛時のショックがロングほどではないだろうし、


治療が終わって自分の毛が生えてきたときはすぐにウィッグを脱げるよ」花


 弘美の言葉に和葉はハッとする。そこまで考えてのショートの提案だったとは思いもしなかった。


感謝の言葉が素直に出てこない和葉の肩にそっと手を置き、弘美はささやいた。


「生きてね、大場さん」mum1


 祈るような口調だった。


「大場さんのお父さんもお母さんもまだご健在でしょう?子供はいくつになっても子供だよ。親より先に


死んじゃいけないの。ぜったいに。ぜったいに・・・・・・」祖父母.両親.敬老の日


 鏡の中の弘美は母親の顔をしている。年齢も体系も雰囲気も違うのに、和葉は弘美に自分の母親を


重ねた。


 何年かに一度、狭い街の近所の目を気にして深夜に こそこそ帰省し、また深夜に東京へ戻っていく娘を、


眠気で眼をショボショボさせながらも必ず門まで見送ってくれる母親の長い影を思い出した。


 一度も振り向かず逃げるように去っていく和葉の足元で、その長い影は「明日」への生き方を示す矢印の


ようにいつまでも揺れていた。いくつになっても子供を思い、心配する親の心そのままに揺れていた。


 私はあの人たちを置いて逝っちゃいけない。祖父母.両親.敬老の日


 和葉の心の中に温かく力強い光が灯った。それが命の炎というものかもしれなかった。






 翌朝、和葉はベリーショートのウィッグで出社した。フロア中から注目され、ひときわ声を張る。


「これ、カツラなんですよ」女性





 和葉が自分のかかっている病名を告げ、闘病しながらの仕事なのでみんなに迷惑をかけるし、場合に


よっては移動や退社も考えていると説明すると、同僚たちはいっせいに目をそらした。花


 予想どうりの反応だったので、和葉は特に気落ちもせず自分の席に着こうとした。その時、予想外の


ことが起こった。優香が和葉の前に進み出たのだ。


「事情は分かりました。抗がん剤治療の期間ってたしか半年くらいですよね?海外出張のスケジュール


見直しましょう。サポートさせてください」花束


「抗がん剤治療のこと、詳しいのね」と和葉が目を丸くすると、優香は肩をすくめた。


「身内にいるんです、大場さんと同じ病気にかかった人。あ、でも今はちゃんと元気になっていますから


ご心配なく。大場さんも頑張ってください。今一人で抱えている仕事を女子社員達に割り振れば


、切り抜けれるはずです。会社辞める必要なんてないですからね」


 和葉が狐につままれたように「ありがとう」とつぶやくと、優香は長いまつげを瞬き、早口で付け加えた。


「それとウィッグ似合ってますよ」ピース


 自分で言っておきながら不満げに口をとがらせる優香を見て、そういうことかと和葉は笑みをこぼす。






 女には7人の敵がいる。でも女には7人の見方もいるのだ。


「なるほど。たしかに永遠の延長戦だ」


 和葉はこっそりつぶやき、軽くなった頭を振ってみせた。虹


 





おわり





備考:この内容は、リンダブックス編集部  作 名取佐和子 99のなみだ・心 よりお借りしました。