
内容は初めてのうつの頃から製造事務を退職した後の主な症状までです。
二度目の方は長いので別にします。
病院の先生との相性
当時のお客様に教えていただいた個人の病院で受診、聞いていた通り変わり者の先生でした。
すぐ寝れる睡眠薬を処方してもらい、症状もよくなっていきました。
ただ、メンタル面が安定せず、その後も行くことになりますが、当時気管支喘息は総合病院を定期的に通院していて、
例えば胃痛があった場合は総合病院で、飲み合わせもあるので、心療内科の先生(内科もやっていて東洋医学がメイン)にも尋ねたことがあるんですが、キレられました。
たびたびこういうことがあり、号泣しながら受付の人に「ああいう先生なんで」と慰めされる
病院ですが転々としてますので下記ご覧ください。
◆気管支喘息:総合病院 呼吸器科
◆初めてのうつ:個人病院W 精神科、心療内科、内科、漢方
派遣の時(二度目のうつを診断した現在も通院してる病院)
途中まで気管支喘息は総合病院でしたが、病院は一つにしました
◆喘息、うつ、肩こりなどの自律神経症状:個人の病院O 内科、漢方
このころ、心療内科Wに受診したことがあります。
その時は今の内科Oに通院してました(おなかの漢方と針をしてもらうくらいでした)が、
うつは専門の心療内科Wにみてもらってたからと理由で。
今処方されてるものをみた瞬間「ここでだしてもらってるなら私はみないのでもうかえってください」と受診放棄されました。
またもや受付で号泣。こんな先生が心療内科、精神科名乗ってるなんてと怒りがわきました。
親には話せなかった
二度目の再発までずっと親にうつの経験があることを隠し続けて働いてきました。
言わなかった理由は、特に母が理解がない人だとわかっていたから。
初めてのうつの時の退職理由ですが、遅番勤務がほぼ担当になっていたことと体調面主にぜんそくが安定してなかったこと、このままの給料で将来大丈夫なのかという不安があったからです。
結婚はするかわからないけど安定のために、正社員で事務の仕事を探すため、退職しました。
仕事が決まらずメンタル不安定
その仕事も失業手当をもらいながら探してましたが、私の希望する仕事
正社員で事務職ばなかなか見つかりません。
あったとしても経理とか医療事務、あとは経験者希望が多かった気がします。
そんな中、親からせかされるのが苦痛でした。
イライラして口頭で親に八つ当たりしたこともあり、言い返されて部屋でこもって泣くことも。
父は温厚な人ですが、怒ったときは痛いとこエグる言い方をしてきます。
メンタルがよくなっては悪くなっての繰り返しでした。
補足
親とは仲は悪くありません。会話は普通にします。
それでも親に弱音や目の前で泣くことができません。
テレビを見て感動して泣いたとき、その姿を見られるのも嫌なほど。
つらかったことを話すときは”すでに限界が来ている=号泣すること”になります。
なんでそれができないのか自分でもわかりません。
多分子供の頃からの親との関係が要因にあるのかもしれません。
メンタルが安定してないとき
親に八つ当たりしたことを振り返ると
●今の状況を話せない苦しさ
私は仕事が見つからないけど探さないとお金がという焦り
メンタルのことを素直に話せない
●甘え
特に父に対してですが、受け止めてくれると思っていた
●助けてほしい
口に出せないけど心の奥底では思っていた気がします
すごく葛藤だらけでした。
面接受けた会社は求人と内容が違う会社ばかり
製造事務に決まるまで受けたとこは求人と違うか雇う気がなさそうなとこばかり
結局その中でも最悪の会社に転職せざるを得ませんでした。
こんなこと立て続くかと自分の運のなさを嘆きました。
ちなみに製造事務退職後は人間不信になりかけていました。
働いていたころから体調にも出ていた為
甲状腺を疑い調べてもらいましたが陰性
▷睡眠障害
仕事から帰ると電池が切れたみたいに寝る
まだ自力で寝れる
▷体重増加
▷嘔吐
▷寒がり
夏でも汗をかかず、でても顔のみ
冬は寒くてカイロは必需品
▷おなかの不調
退職後、症状もそこまで重症ではなく親との関係も悪くなく。
なぜ悪くないかというと丁度祖母の介護が必要になったからその人員に回されたため。
母から言われた
「家族が助けてほしい時に毎回ちょうどいてくれて助かるわ」
もう開いた口がふさがりません。
