中国の唐から様々な文化を取り入れていた当時の日本。

当然扇も、と考えてしまいますが、

中国や朝鮮には団扇はあっても、畳める扇は無く、

扇は日本オリジナル製品だったのです。

日本で最初に登場した扇は、檜扇でした。

檜などの薄板を重ねて下部を座金で固定して扇を開く時の要とし、

上部を糸でかがってバラバラにならないようにしたものです。

奈良から平安に時代が移る頃には

日本独特の和紙の製法が確立されていましたが、

紙は大変に貴重なもの。

公の記録などでも、「木簡」という薄板に書かれました。

その木簡は重ねて必要な箇所が読み出せるように綴じられており、

そこから檜扇が生まれたとされます。

実際、男性貴族は檜扇に文書を書き記しました。

その扇は、主に素木の無文。

天皇や皇太子は、書く必要がないので、

蘇芳で赤く染めた赤扇を用いたをいいます。

女性にはそうした習慣はなかったので、専らファッションとして、

胡粉を塗り、金銀や彩絵で飾った美しいものを用いました。

他人にむやみに顔を見せてはいけないとされた女性には、

顔を隠す道具としても必需品でした。

 

 

 

 

贈る扇

粗末ながら清らかな佇まいの行きずりの家の垣根に、

ほの白く咲く夕顔の花。

一房を折ろうとした源氏の随身に、

「枝も風情が無さそうに見える花ですから、これに載せて」と

差し出された扇。

薄幸の麗人、夕顔との縁の発端となる印象的なシーンです。

移り香が深くしみた蝙蝠扇には、風情ある筆跡で、

心あてにそれかとぞ見る白露のひかりそへたる夕顔の花、

と心憎い歌が記してありました。

 

 

 

 

交わす扇

桜の宴の果てた月明かりの夜、

忍び潜む源氏に気づかず歌を口ずさみながら

歩いてくる若く美しい女性。

花の夜の夢のように艶やかなこのシーンは、

古来、扇をかざして月光の中の桜を

見上げる女君の姿として描き続けられてきました。

火炉の寝静まった夜のことです。

かざす扇は浮き立つ心のあらわれでしょう。

その伸びやかな姿態に惹かれた源氏は暗がりに引き入れて、

慌ただしく契りを結び、暁の中で女君と扇を取り換え、

またの逢瀬を願うのでした。