パリオリンピックの開会式をライブ映像で観た。現場では退屈だと酷評もされているようだが、セーヌ河岸に点在する観光名所とフランス文化の紹介映像と音楽ショーや制作物が渾然一体となり、前衛作品に仕上がっている。夕陽は味方につけられなかったが、雨を物ともしない演出が光る。エッフェル塔のように、伝統と革新の融合を意識させられる見事な構成だ。通い慣れた国立図書館やルーブル美術館の映像も郷愁を誘う。

 

時差の関係で、深夜から早朝にかけても競技が行われる。今朝も準々決勝進出を決めた男子サッカーのマリ戦を6時まで観ていた。オリンピックをリアルタイムでテレビ観戦するために、2週間ほど、新しい曲のアップとブログをお休みする。日頃、贔屓の方々には感謝申し上げる。アコーディオン演奏のみのアップは、通常どおりとする。次回の新規曲のアップは8月16日(金)、ブログの再開は18日(日)を予定している。

 

筆者が前から注目しているのは、やり投げとバレーボールである。北口榛花と西田有志・古賀紗理那夫妻のファンで、3人には元気をもらえる。北口は最後に気合を入れ直すと底力を発揮するし、スパイクが決まったときの西田の雄叫びは癖になる。昨日はドイツに惜敗したものの、今年のバレーボールは日本チームのレベルが高くて面白い。金メダル1号の角田夏実にも万歳だが、阿部兄妹や斎藤立他の日本選手にもエールだ。

 

今週の室内ランは、まず、130分(L4)で幕を開けた。通しではないが、この1日の運動時間は数か月ぶりである。先々週、先週と、週末に60分(L4)通しで終えていたことが、功を奏したようだ。余分な10分については、セーフティー機能が働いて途中でトレッドミルが停止した回の半端な時間である。10分未満で停止時は、30分単位で運動をし直すが、20分以上で停止時は、残り時間を次の30分に加えるようにしている。

 

2回目は、丸3日の間隔を空けて、120分(L4)を実施した。このときは、テレビのリモコンを操作しようとして、床に落とした際に、機器が20分で緊急停止し、40分にタイマーをセットして再開した。30分と40分では、大差ないように思われるかもしれないが、1.5km前後は余計に走る計算になる。エアコンの冷房をがんがん利かせていたが、久しぶりに大量の気持ちのよい汗をかいた。最後には、汗もサラサラになる。

 

汗と言えば、ワンコは、歯磨き粉のような化学的な臭いが苦手で、鼻近くで臭いがすると顔をそむける。半面、病臭・死臭は別として、動物的な匂いは好きで、留守番時には、飼主の匂いがするものを傍に置くとよい。脱いだ衣類を置いておくと、安心するのか、上に寝ている。また、水を飲むと、口の周辺は水に漬かるため、雑菌が繁殖しやすい。乾いて硬くなった毛が刺さるため、目に当たらないように、カットしている。

 

今週のランはハードで、運動時に映画を観る余裕はなかった。先週、観返した作品で、言及を次週に回した『夕陽に立つ保安官』(以下『夕陽』と略記)の筋を追おう。実のところ、『地平線から来た男』(以下『地平線』と略記)より、こちらのほうが好みである。『地平線』では、演技の面白味が勝っていたが、『夕陽』については、派手な演技もさることながら、主人公とヒロインとの会話の場面など、台詞が格段に面白い。

 

『夕陽』では、主人公のマッカラーは、金の採掘を求めて或る町に来る。「エマのおいしい家庭料理」の店に入ると、料金は3ドルだが、「おいしい」は名ばかりで、「高い」とぼやく間に、看板メニューの3が書き足しで8に替わる。すかさず、隣客から「[インフレで]食べてるうちに値上がりすることも」との注釈が入る。その後、お決まりの喧嘩が始まるが、彼はテーブル返しの寸前に、ちゃっかり、自分の皿を安全な場所に運ぶ。

 

マッカラーは、当座の資金を得るために、保安官募集に応募し、銃の腕を見込まれて採用される。脱獄不可という触れ込みの留置場は未完成で、独房には鉄扉も鉄格子もなかった。主人公は、酒場で目撃した卑怯な手段で相手を撃ち殺した男を捕まえて、牢屋にぶち込むが、彼の逃亡を防ぐ一計を案じる。事前に鉄扉の位置に白線を引いて、近くに赤ペンキを垂らし、男には、「この赤いのは前に白線を越えた奴の血」と説明した。

 

折しも、保安官事務所の外で喧嘩をしていた男の一人(ジャック・イーラム)が銃を抜いてきたので、主人公は早撃ちで対応する。しかし、彼が気の好い人物とわかり、副保安官にする。主人公は腕が未熟な彼に射撃練習をさせる。手本を見せた主人公の、釘のような小さな的を射抜く力に、副保安官が「そこまで素早くて正確ならもう有名なはずだ」と言うと、主人公は「有名になどなったらすぐに殺される」と答える。

 

『夕陽』では、町長の娘プラディー(ジョーン・ハケット)のお転婆ぶりが目を引く。彼女は、最初の出会いで、大声で罵りながら、男たちと泥だらけで喧嘩を交えていた男まさりの姿を主人公に見られる。父親の町長との契約で、報酬の他に宿泊先と娘の手料理を約束された彼が、思いがけず、自宅に来ると、彼女は、慌てて、屋敷内を隠れまわり、シャワーで泥を洗い流した後の入浴着姿で、庭の木の上に登るはめになる。

 

プラディーは、その姿も彼にしっかり見られた上に、通りがかった近所のおばさんから、アイスクリーム製造機に髪を引っ張られた失敗談まで蒸し返される。手料理で挽回を図るも、膨らんだペチコートの裾にオーブンの火が燃え移る。本人はスカートが燃えていることさえ気づかない。後日、彼女は憎からず思っている主人公の元に弁解に出向くが、真意を見透かしたような気のない主人公の言動に怒り、けんか別れする。

 

独房に入っている男の父親が留置所に来て、銃口を向けて息子の解放を迫るが、主人公はとっさに銃口に人差し指を突っ込み、銃を捨てさせる。暴発すれば、主人公の指も飛ぶが、相手も大けがをする対等な状況を作ったわけだ。父親は、息子に面会を申し込み、独房を見ると、彼が、窓の鉄格子も隔壁の鉄扉もないところで、逃げもせずにいるのを見てあきれる。保安官が銃で脅して逃げないようにした小細工の成功である。

 

その後、男の父親が金で雇った刺客に命を狙われるが、2名を撃ち殺してうんざりしたマッカラーは、早撃ちガンマンらしい男との決闘時には、小石を投げて相手を追い払う。次に、父親らは設置済の鉄格子にロープを結んで馬に引かせるが、ロープの端はいつの間にか彼らに繋がれていたため、馬だけが走り去る。鉄格子をはめるのを自ら手伝った息子が言う。「父さんの心は大自然のように広いのに、頭の中はからっぽでな。」

 

父親が一族をかき集めて、保安官らを殺し、息子を取り戻しに来る話を、町長の娘から聞いた主人公は、逃げるつもりはないのに、彼女に町を出ると語る。娘は驚くが、「男性の決断としてはかなり成熟してる。」と頓珍漢な反応を見せる。彼は、すかさず、「臆病だと思わないか?」と尋ねると、彼女は「いえ成熟だわ。」と言い張る。主人公は、さらに、言葉を被せる。「成熟ではなく臆病だ。正しい言葉を使って話そうぜ。」

 

娘は不思議がる様子で「どうしたの?」と聞く。「臆病者と思ってる男の愛を得ようとする女の姿に驚いてる。」と主人公は答える。すると、彼女は怒り出す。「愛を得ようとするですって?」最後に、主人公が言う。「俺が本当に逃げるとでも思ったのか。逃げるつもりはないから、忘れろ。」娘は勝ち目がないから彼に逃げてほしかったのだ。この男女の愛の機微に触れる臆病/成熟論議は、最も印象に残る対話シーンの一つである。

 

他方で、臆病な町民らは、議会の満場一致で、銃撃戦が収まるまで隠れることを決める。結局、主人公と副保安官とお転婆娘の3人だけで戦うことになる。途中で、彼は古い大砲を見て作戦を思いつく。留置男を発射口にくくりつけ、一味に武器を捨てないと発砲すると警告する。最初は脅しを疑うが、最後には父親に信じさせる。彼らは降伏し、留置男のロープは解かれる。導火線に点火すると、砲弾が出たのはご愛敬だ。

 

電子楽譜ネタに移ろう。白根一男の「二等兵ブルース」(1958)は、松竹映画『続二等兵物語』(1957)の主題歌で、戦争がテーマの曲ではあるが、軍歌の類ではない。原曲の確認がとれず、原譜にテンポの目安を示す音楽記号は付いていなかったため、手探りで、適正に思われるテンポを探った。100から始めたが、やや速く感じられたので、84にすると、今度は、少し遅く感じられた。結局、間をとって、94に落ち着いた。

 

若原一郎の「アイヨ何だい三郎君」(1959)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化の過程で、ゴースト3連符が見つかった。本来、4連結の16分音符のはずが、最初の1音符だけ8分音符になっていたため、修正しようとして当該箇所をクリック選択すると、ゴーストが顔を出した。16分音符が8分音符になっている段階で当該フレーズに警告は出ていなかったので、その時点で、ゴーストの存在を疑うことができた。

 

島倉千代子の「恋人さん」(1964)では、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にアレグロの指示があったが、合わせてテンポ数値も記載されていたので、手間を省けた。音楽記号は相対的なので、数値が併記されていると、助かる。昔の昭和歌謡が遅く感じられることの多い現代では、音楽記号のテンポ感覚も変わっているはずだ。60年代になると、『歌謡曲全集』に掲載される原譜も見開きの譜面が増え、電子楽譜が作成しやすくなる。

 

水原弘の「ど根性一代」(1965)では、『歌謡曲全集』の原譜の電子楽譜化の際に、原譜どおりの位置だと、DCがきちんと機能しなかった。本曲の場合、第1、第2間奏で、勝新太郎の長台詞が入るため、同じような長めの間奏が必要であったが、電子楽譜では、そのような構成が第2間奏にしか得られず、ファイルを作成してから、手作業で第1間奏の入れ替えを行った。原譜にモデラートの指示があり、テンポは84に設定した。

 

三沢あけみの「明日はお立ちか」(1965)も、当時、よく耳にした曲である。元唄は、小唄勝太郎の同曲(1942)で、佐伯孝夫と佐々木俊一のコンビ曲である。三沢版は、渡久地政信の補作詞・編曲によるもので、特に1~2番の歌詞が時代に即したものに大幅に書き換えられている。ただし、小唄版の原譜は、『歌謡曲大全集』のもので、完全な譜面であったが、三沢版のそれは、『歌謡曲全集』の不完全なもので、手直しを要求された。

 

to Codaよりも先にCodaが来ていて、しかも、適正な位置に置かれていなかったため、これらを外してから、MP3ファイルを作成し、曲末の余分なフレーズはカットし、すでに曲の前半部にある本来のラストの箇所をコピーして貼り付けた。譜頭にはモデラートの指示があったが、2分の2拍子の曲で、84と108の2倍の速さで試してみたが、前者は遅く、後者は速く感じられたため、中間の96×2=192に設定した。

 

フランク永井の「中洲の夜」(1969)でも、カザノヴァ7の「夜の柳ヶ瀬」(1969)でも、『歌謡曲全集』の原譜の譜頭にはモデラートの指示があった。前者は、モデラートのデフォルト値84で、原曲の演奏時間(3:10)と一致し、聴いた感じもしっくりした。逆に、後者は84ではかったるく、昭和歌謡のセカンド・スタンダードの108を試したが、それでも遅く感じた。最終的にスコアメーカーの初期値の120に落ち着いた。

 

庄野真代の「中央フリーウェイ」(1977)は、荒井由実のセルフカバー・アルバム『14番目の月』(1976)に収録された同曲のカバーである。原譜はイ長調で、曲調から半音の上げ下げが頻繁で、シャープやナチュラルの付いた音符が多く、誤植を誘発しやすい。本来、それらを付ける必要がある箇所に付いてないこともあって、電子楽譜化の作業は難航した。原曲を確認しながら、少しずつ、誤植らしきものを修正して行った。

 

原譜では、「調布基地」のキにあてられた音符にナチュラルが付いているが、実際は、そのナチュラルを取り払って、むしろ、直前のフにあてられた音符に付けると自然になった。また、原譜では「染めて広がる」の歌詞にあてられた音符群にはシャープもナチュラルも付いていないが、実際は、テにシャープを付けて、ヒにナチュラルを付けると、原曲に近づいた。この半音上げか元に戻すかの判断は、微妙で難しかった。

 

音程や音長の狂った箇所も見つかっている。「調布基地」はE3F3F3G3C3の構成だが、原曲を確認すると、E3F3G3F3C3のほうが自然に聴こえた。真ん中の2音のメロディーが異なるように思われる。「みたい」のミの音は原譜ではE3だが、原曲ではD3に聴こえる。「夜空に続く」の1、2回目のクにあてられた音長が原譜では2分音符だったが、4分音符にしないと、ク以外の箇所「夜空に続」で、不具合が発生した。

 

歌詞の音配当が不適切な箇所も少なからずあった。「調布基地」は、チョ・フ・ウ・キ・チのように分節されていたが、チョ・オ・フ・キ・チの構成にした。「愛してるって」はアイ・シ・テ・ルッ・テのように分節されていたが、ア・イシ・テル・ッ・テの構成に変えると自然になった。「ビール工場」はビ・イ・ルコ・オ・ジョ・オ・オのように分節されていたが、ビ・ル・コ・オ・ジョ・オ・オに変えると違和感が小さくなった。

 

和製英語歌詞も、原曲では、原語風に歌われている箇所もある。カナ表記のままでは不自然な箇所については、一部、英語歌詞を交えながら、チャンポンで対応した。たとえば、4度くり返される「中央フリーウェイ」の歌詞はチュ・オ・free・ウェ・エにすると違和感が少なくなった。2番歌詞の「ドライブ」はdri-veよりもdry・ヴの形式にすると自然になった。dri-veだと何故かドゥイ・ヴのように発音されてしまう。

 

 

例によって、歌三昧のアップ曲で、視聴数の多いものを3曲ほど貼り付けた。